2018年4月14日 上野国分寺跡と高崎市の保渡田古墳群、箕輪城を見る


先々週に続き、恒例の歴史仲間2名(Mr.SとMr.K)とグンマへ。 前回は前橋市の総社古墳群を見ましたが、今度は高崎市内に進路を定め、上野国分寺跡、保渡田古墳群、箕輪城をタクシーで巡るという、非常に交通費のかかる散歩をしてまいりました。 まずは新前橋駅で下車。先日引退した115系がまだ残存していました。

さらに上野国分寺跡へ。一部の土塀が復元されています。

往時はこのような姿であったと推定。

基壇が復元されています。こちらは七重塔があった場所。

そして唐突に現れるマンホール。しかも随分と突き出していますが、今後周囲が埋まる予定があるのでしょうか。

続いて保渡田古墳群へ。約1500年前の豪族が眠る古墳で、5世紀の終わりから6世紀の初めにかけて、短期間のうちに二子山古墳、八幡塚古墳(上写真)、薬師塚古墳の3つが続けて造られました。

八幡塚古墳の墳丘は全長96mで3段に造られ、内堀、外堀、外周溝がめぐり、墓域は190m×148mにも及びます。さらに内堀の中には祭祀場と思われる4つの島(中島)があるのが特徴です。 埴輪は6000本ほど設置されていたと考えられており、復元に当たっても出来る限り配置したようです。

こちらは二子山古墳。 墳丘の長さは約108mで、内堀と外堀を巡らせています。外堀まで含めた全長は約213m×173m(後方部付近)で、墓域の面積は約30000uという広大なもの。墳丘の頂上にある埋葬施設には、大型の船形石棺があります。また、内堀には祭祀場と思われる中島が4基配置されています。

保渡田薬師塚古墳。 全長約105mで、内堀と外堀を巡らせています。御覧のとおり、かなり変形を受けており、現在は西光寺の境内となっています。

併設されているかみつけの里博物館では、この付近の豪族の館である三ツ寺I遺跡と周囲の住居、保渡田古墳群などが再現されています。

三ツ寺I遺跡の復元模型。歴史の教科書や資料集でもお馴染みです。 日本で最初に発見された古墳時代の豪族の館跡で、最大級。上越新幹線と県道前橋安中線の交差部に位置し、新幹線建設の際に発掘されました。大変重要な場所ですが、今は新幹線や道路の下に埋め戻され、現地で視認することは不可能です。



続いてタクシーで箕輪城へ。1500年代前半に、長野業尚または息子の長野信業によって榛名山東南麓の丘陵上を中心に築城された平山城です。 以前にも訪問したことがありますが、2016(平成28)年に郭馬出西虎口門が復元。まだ木の色が新しい感じですね。

さらに、これまでは樹木が生い茂っていたのですが、伐採が進められて曲輪の形がハッキリわかるようになりました。 このように余計な樹木を伐採してくれるだけでも、昔の雰囲気を感じやすくなりますね。有難い取り組みだと思います。

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