2018年9月1日 長浜と有馬温泉を訪ねて


関西方面へお出かけ。本当は彦根城も見に行くつもりだったのですが、出だしから大雨で少々足止めを喰らったので、長浜駅周辺に絞って観光することにしました。まずは、長浜駅で681系による特急「しらさぎ」を撮影。

続いて、旧長浜駅舎などを保存している長浜鉄道スクエアを初訪問。

旧長浜駅は、1882(明治15)年に現在の北陸本線の始発駅として建てられた、現存最古の駅舎です。

明治20年頃の長浜駅。この当時は長浜港と長浜駅の乗り換え口として、交通の要衛でした。



D51 793と、ED70 1号機が絶好の環境下で保存されています。特にED70形は、現存ただ1両のみ。

その向かい側には慶雲館があります。1886(明治19)年に明治天皇皇后両陛下が翌年2月に京都行幸啓の帰路に大津から船で長浜に上陸され、この長浜駅で鉄道に乗り換えられるとの報を受け、長浜の実業家で、太湖汽船頭取の浅見又蔵氏が私財を投じ行在所として建築したもの。

天皇陛下の誕生日である11月3日に着工し、行幸啓当日の朝に完成するという突貫工事。そして天皇皇后両陛下は13時前に長浜に到着し、慶雲館で休息された後、13時45分頃の列車で名古屋に向かわれたという、これまた慌ただしい滞在となりました。

こちらが玉座の間。そもそも座っている時間があったのか否か・・・。

続いて、北國街道沿いの町並みを見ていきます。



長浜旧開知学校 【国登録有形文化財】
1874(明治7)年築で、1936(昭和11)年に現在地へ移築。木造3階建、八角塔屋付の擬洋風建築。現在は会議室などで使用されています。


北国街道安藤家
1905(明治38)年築。安藤家は室町時代に長浜に移り住み、豊臣秀吉によって長浜の自治を委ねる「十人衆」を選ばれ、江戸時代はさらに十人衆から選ばれる三年寄の一家として活躍しました。明治以降は呉服問屋となり、福島県を拠点とする百貨店「中合」の創業にも関わっています。





旧・国立第百三十銀行長浜支店(現・黒壁ガラス館)
 1900(明治33)年築。黒漆喰の壁であったことから「黒壁銀行」として親しまれました。1954(昭和29)年からは長浜カトリック教会となり外観が白くなります。その後、取り壊しの危機から長浜市と地元民間企業8社が出資した第三セクター「黒壁」が1988(昭和63)年に設立され、黒壁一號館「黒壁ガラス館」として再生。
 その後、この建物を核に周辺の建物が次々と再生され、長浜を代表する観光地となっていきます。


こちらは黒壁5號館 札の辻本舗。

 続いて大通寺へ。真宗大谷派(東本願寺)の別院で、正式には無礙智山(むげちざん)大通寺といいます。
 元々は1602(慶長7)年に本願寺第十二代教如によって旧長浜城に創建されたもので、彦根藩第2代藩主の井伊直孝の寄進によって、1662(慶安4)年に現在地へ移転したもの。伏見城の遺構とされる本堂や、長浜城大手門を移築した台所門など、様々な古建築の宝庫です。
 上写真は山門 【長浜市指定文化財】 で、1841(天保12)年築。東本願寺の山門を模したもので、後に東本願寺の山門が焼失すると、これを元に復興しました。


本堂 【国指定重要文化財】
寺伝によると伏見城の建物の1つを、徳川家康から本願寺教如へ贈ったもの。東本願寺御影堂として使われた後、承応年間(1652〜54年)に移築したものです。

台所門 【長浜市指定文化財】
長浜城の大手門を移築したもの。元々は山門の位置にあったそうです。

長浜観光のラストは約10年ぶりに見る長浜城。とは言え、時間の都合で中には入りませんでした。

JR長浜駅。橋上駅舎ですが、初代長浜駅を模しているのが特徴。


夜は一気に神戸市へ。ひょん君さんと合流して新開地駅で神戸電鉄を撮影しますが、期待したリバイバルカラーのうち1本は運用変更で見当たらず。そのうち再挑戦しなければ・・・。


代わりに、こんなのはゲット出来ました。


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