2018年11月7日・8日 震災復興半ばの岩手・宮城を行く


リン所員が東北旅行を敢行するというので、私も後半2日間お邪魔することに。遅ればせながら、ようやく三陸方面にも足を延ばすことにして、東日本大震災の被災状況も勉強することに。
さて、 新幹線に乗車しながら郡山駅に近づくと、485系3000番台の中間車が。

事業用気動車であるキヤE195系気動車もいました。JR東海のキヤ97系と同型です。

さて、一ノ関駅に到着。改札内には国際リニアコライダーの誘致PRコーナーがありました。実現すると、地下約100メートル、全長20キロメートルの地下トンネル内で、電子と陽電子を光速に近い速度まで加速させ、正面衝突をさせ、宇宙誕生から1兆分の1秒後の状態をつくり出すことが可能に。これまでにない様々な研究が可能となり、世界中から研究者が集まってくることになります。

それでは、一ノ関駅を出てリン所員と合流。

まずは厳美渓へ。磐井川の浸食によって形成された見事な景観。



ロープで運ばれてくる名物「かっこうだんご」や旧鈴木家住宅も見学。

続いて坂上田村麻呂が毘沙門天を祀った岩窟「達谷西光寺」へ。戦国時代になると戦乱によって悉く灰燼に帰しますが、1615(慶長20)年に仙台藩主の伊達政宗が再建。しかし、1946(昭和21)年に隣家からの出火により毘沙門堂が焼失。現在見られるものは1961(昭和36)年に再建されたものです。

こちらは隣にある御供所(旧・千葉家住宅)。17世紀末の建築と推定。御供所(ごくしょ)は様々な行事や参詣する信者の宿としても使われる建物で、1968(昭和33)年に取り壊されましたが、1995(平成7)年に現建物を譲り受けて移築しました。

続いて毛越寺を散策。紅葉が美しい!



中尊寺金色堂も参拝します。



続いて15年ぶりの訪問となる「えさし藤原の郷」へ。奥州藤原氏をテーマにしたNHK大河ドラマ「炎立つ(ほむらたつ)」のオープンセットを元にして1993(平成5)年に開館したもの。

当時の様子が再現されています。

様々な大河ドラマや映画で数多く使用されています。

近くにある館山史跡公園も散策します。中世の山城で、江戸時代には仙台藩の21の要害の一つとして使用されました。

その近くには旧・後藤家住宅がありました。なんと国指定重要文化財で、元禄年間(1688〜1703)の建築と推定。仙台藩の直屋として典型的な民家で、建物の半分を土間が占め、土間部の柱が二重に建っているのが特徴です。

こちらは旧岩谷堂共立病院。1874(明治7)年に建てられた疑洋風建築で、地元の大工棟梁である及川東助が手がけました。
翌年1月に岩手県初(当時は水沢県)の西洋医学における総合病院として開院し、江戸で蘭学を学んだ横田信行(旧白河藩士)を院長として迎えました。しかし、経営は上手くいかず、岩手県に県の公立病院として申請しますが認められず、1878(明治11)年に僅か約3年で閉院。磐井治安裁判所岩谷堂支所及び登記所、岩谷堂尋常小学校(仮校舎)を経て、明治後期からは岩谷堂町役場、江刺町役場、そして1971(昭和36)年まで江刺市役所として使用されました。

1979(昭和54)に岩手県有形文化財となり、失われていた最上階の塔屋を復元するなど修築工事を行った後、明治記念館として一般公開されています。

そして岩手開発鉄道の撮影へ。大船渡市にある貨物専業の鉄道会社で、まずは岩手石橋駅を撮影します。

撮影場所探しに四苦八苦し、何本か貨物列車の撮影に失敗しますが、DD5601牽引の列車の撮影に成功。

さらに、赤崎駅からの折り返しをゲット。

また、盛〜陸前赤崎間を行く三陸鉄道も撮影。撮影時は南リアス線でしたが、現在は旧山田線区間を含めてリアス線となっています。

続いて盛駅に到着。

ここで岩手開発鉄道のDD5651牽引の貨物列車を撮影。

1992(平成4)年まで旅客営業を行っていた岩手開発鉄道。今も1面1線のホームが残っています。

こちらは大船渡線BRT

三陸鉄道の盛駅も撮影。

続いてJR大船渡駅へ。震災前は駅舎がありましたが、BRTによる復旧後はこのような姿に。

簡易的な姿に変わり果てた大船渡駅ですが、駅前広場は立派に整備。周辺は商業施設などが集められていました。

続いて陸前高田駅へ。高台移転かつBRTの駅ですが、まさかの開業当時の駅舎を再現するという、力の入れよう・・・。

大船渡線観光型BRT三陸の「海」号が停車していました。

さて、翌日は気仙沼駅からスタート。

大船渡駅を発車する大船渡線のキハ110系。写真左側は気仙沼線BRTの専用道路です。

駅に停車中の気仙沼線BRT

さて、気仙沼駅を出発して散策を開始すると、武山米店という建物を発見。1930(昭和5)年に建てられた商家で、国登録有形文化財。二等辺三角形の敷地なりに建ち、切妻造の鉄板葺の屋根、扇形に配した正面の垂木などが特徴です。
2011(平成23)年に3m近くの津波が押し寄せ、1階部分を中心に大きな被害を受けましたが、2018(平成30)年に約6割以上の古材を用いて復元されています。

陸前高田へ戻り、奇跡の一本松、旧:陸前高田ユースホステルを見ます。

震災前の様子。まるで違います・・・。

こちらは道の駅 高田松原跡。

陸前高田市立気仙中学校跡など、震災遺構を見て回ります。 津波の威力、そして震災から7年経ったにもかかわらず、未だ地盤改良が端緒に就いたばかりといえる旧市街地の現状に驚くほかありません。

続いて国道45号線上を走行する大船渡線の長部〜唐桑大沢間でBRTを撮影。

こちらは大船渡線のBRT新駅である八幡大橋(東陵高校)駅。

そのまま南下して、今度は気仙沼線の陸前階上駅へ。BRT化されていますが、駅舎は鉄道時代の駅舎を大幅にリニューアルして使用。

ホームに行くと、気仙沼線観光型BRT・おでかけ「旅」号がやって来ました。

隣駅である大谷海岸駅。線路とホームは残存していますが、駅舎は解体。

BRTの駅としては隣接する国道上に移設されています。

本吉〜陸前小泉間を行くと、気仙沼線の橋梁の復旧工事が進められていました。

陸前小泉駅。本来の路線は背後の工事現場だと思われます。



続いて南三陸さんさん商店街に到着。



その隣が南三陸町旧防災対策庁舎ですが、周辺も復興はまだまだまだ・・・。

そして宮城県へ入り、石巻市の旧大川小学校へ。多くの犠牲者を出した場所の1つです。

震災前の様子

絶句するしかありません。



続いて、こちらは美しく整備が完了した女川駅とその周辺を散策。

ここでリン所員とお別れし、未乗区間だった石巻線の女川〜石巻間を堪能します。

石巻駅に到着。

石巻線の主力はキハ110系。


ここでは石巻線の貨物列車を撮影。偶然、DE10形が並びました。

さらに、 仙石線のホームに行くと205系 2WAYシート車組み込み編成とHB-E210系気動車が並んでいました。

こちらが205系 2WAYシート車の車内。仙石東北ラインの開業に伴い、仙石線の快速が廃止になった2015年以降は、ロングシートに固定された状態とのこと。

続いてHB-E210系気動車。

ディーゼルハイブリッドシステムを搭載しており、機器室が車内にあるのが特徴的です。

仙石線の復興区間を通りながら、仙石東北ラインで仙台駅へ。

701系の並びを撮影。

最後に、485系ジパングが入線してきたので撮影し、〆としました。

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