2020年11月14日 東海道戸塚宿を散策する


近いと意外と行かないものですが、たまには旧東海道の戸塚宿を散策してみようと思いJR戸塚駅で下車。


戸塚駅西口は2010(平成22)年に再開発され、トツカーナなどの商業施設、神奈川中央交通の戸塚バスセンターがあります。


再開発前の戸塚駅西口。2006年12月6日に撮影したものですが、旧東海道に面して商店街が広がっていました。

再開発前はこのような蔵も残っていたのですが、解体されてしまったようです。現在、この場所はトツカーナの立体駐車場になっています。


さて、戸塚宿を歩きます。日本橋から数えて5番目、距離は10里半(約42km)の宿場町で、本陣は2つ。こちらは内田本陣跡で、現在はスルガ銀行が建っています。



脇本陣跡。戸塚宿で3軒あったもののうちの1つです。

澤邊本陣跡。戸塚宿の設置にあたっては、澤邊宗三が幕府に強く働きかけたとか。明治天皇が1868(明治元)年に東下した際には行在所となりました。


澤邊本陣あとの裏手が羽黒神社。1556(弘治2)年、澤邊河内守信友により羽黒大権現を勧請したのが始まりです。

海蔵院。1363(貞治2)年に創設された臨済宗円覚寺派の寺院です。かつては晩鐘が戸塚十勝のひとつに挙げられていました。


八坂神社。1572(元亀3)年に内田兵庫政親が牛頭天王社を勧請したのが始まり。一時荒廃しますが、1688(元禄3)年に内田佐衛門尉源政利が再興し、1874(明治7)年に現在の名勝となりました。毎年7月14日に行われる「お札まき」は、男性十数人が姉さんかぶりに襷がけの「女装」をして裾をからげ、渋うちわを持ち、うち音頭取り一人はボテカズラをかぶり、五穀豊穣や無病息災の祈願を込めた歌を歌いながら踊りを披露。その後、色彩豊かなお札がまかれ、多数の来場者が取りに走るというもので、元禄時代から300年続き、横浜市指定無形民俗文化財となっています。

八坂神社の脇は東海道と鎌倉道の交差点。高札場があったほか、現在も「かまくら道」と書かれた石碑が残ります。1710(宝永7)年の建立。

冨塚八幡宮。戸塚の総鎮守で、元々は前九年の役平定のための源頼義、義家父子がここに野営した際、夢に応神天皇及び富属彦命(相模国造弟武彦の二世の孫)の信託を蒙り、その加護によって戦功を収めたので、1072(延久4)年に社殿を創建したもの。境内山頂の古墳が富属彦命の墓で、ここから富塚(トミツカ)、やがて「トツカ」となったのが「戸塚」の地名の由来と云われます。

拝殿は1934(昭和9)年の改築です。

本殿は1840(天保11)年の建築。

最後に来た道を引き返し、問屋場跡を撮影。

JR戸塚駅で飾られている歌川広重による東海道五拾三次 戸塚 元町別道の浮世絵。今回は行きませんでしたが、柏尾川に架かる「大橋」周辺の風景が描かれています。左のお店は「こめや」という茶屋で、米で作った餅菓子で有名な店で、軒先には大山を始め様々の講中の札が下がっています。

ちなみに戸塚区のマンホールは浮世絵をベースに箱根駅伝のランナーが描かれています。


さて、戸塚駅の改札を通りまして…。


大船駅で651系による臨時特急「草津71号」の撮影を行います。戸塚で撮影しても良かったのですが、始発駅である大船で動画も撮りたかったので、駆け足で戸塚宿の散策を終えた次第です。


いました!651系。今や平成一桁のJR車両が次々と引退する中、
1983(昭和63)年生まれの特急車両が活躍するのは貴重になって来ました。

651系は大型のトレインマークが特徴。JR北海道とJR四国を除いてトレインマークが無い特急が標準になりつつありますが、特急と言えばやはりコレだと私は思います。


グリーン車は乗り心地よさそうですね。


未だ草津には行ったことが無いので、コロナが収まれば行ってみたいものです。


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