2021年4月24日 185系と小田原に里帰りした路面電車を見る


この日は午前中、まずは大船駅で横須賀線のE217系(Y-17編成)とE231系の並びを撮るところからスタート。


続いて北鎌倉駅でもE217系(Y-34編成)を撮影。


こちらはY-140編成。

円覚寺の前でE217系を撮影。

そしてレトロ調の駅名標が取り付けられている北鎌倉駅の駅舎を撮影し…。

先ほどのY-34編成の折り返しを撮影します。

続いて大船駅で185系による臨時快速「あしかが大藤まつり」を撮影します。3月改正で定期運用を離脱した185系ですが、もうしばらく臨時列車で見られるようです。とは言え、東海道線ではなかなか見られる機会が少ないようですが。

その185系を置き換えたE257系による特急「踊り子」。

大船駅でのラストにE217系Y-19編成を撮影しました。


続いて小田原駅前に行き、北条氏政・氏政夫人、氏照の墓所を撮影。


何とオリジナルマンホールで道案内がされていました。

続いて南下し、大正15年に再建された立派な建築が特徴の「だるま料理店」を撮影。

さらに、1932(昭和7)年に建築された、旧網問屋を再整備した小田原宿なりわい交流館を見ます。

その裏手が「かまぼこ通り」。「籠清」本店は大正13年の建築。

「かまぼこ通り」には、全国初となる姉妹都市の下水道マンホール蓋が設置されています。こちらは東京都八王子市。

こちらは埼玉県寄居町。

それから小田原市のカラーマンホールもありました。小田原市は最近、ガンダムマンホールなどオリジナルのマンホールを続々と誕生させています。

さて、今度は旧東海道を歩きます。こちらは小田原宿に4軒あった本陣のうちの1つ、片岡本陣跡。伊予松山の(久松)松平家などが定宿にしていました。

こちらは久保田本陣跡。紀州徳川家、長州の毛利家や福岡の黒田家、佐賀の鍋島家などが使用しました。

こちらは済生堂薬局小西本店店舗。1925(大正14)年築。

向かい側が小田原城?と見間違える城郭建築の「ういろう」本店。

清水彦十郎本陣跡。松江の松平家や大垣(岐阜県)の戸田家などが使いました。

さて、この日の主目的の1つがこちら。2021(令和3)年3月12日にオープンした神奈川県小田原市の箱根口ガレージ報徳広場にて公開が開始された、箱根登山鉄道小田原市内線モハ202です。

1956(昭和31)年の小田原市内線廃線後、長崎電気軌道で活躍していましたが、64年ぶりの帰郷が実現したものです。

長崎電気軌道での引退時には、山口県へ向かう前に無理やり見に行くという荒業を行いましたが、まさか身近な場所で保存されるとは。

さらに小田原城址公園の御感(ぎょかん)の藤を見ます。大正天皇が皇太子の頃、小田原御用邸にご来臨の際、この藤の花の下に召馬が駆け込み、花を散らしたので、皇太子(大正天皇)は 、「見事な花に心なきことよ」と、しばらく馬を止めて感嘆されたという逸話があり、名前の由来となっています。

藤と云えば、あしかがフラワーパークが有名ですが、こちらも見事なものですね。


最後に報徳神社を参拝し、帰宅しました。

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