○寝台特急「つるぎ」に只見線に、ひたちなかに・・・〜2009年12月28日(土)・29日(日)〜
 27日(金)夜、裏辺所長は新宿駅にいた!。そして、見上げた電光表示板に表示された湘南新宿ラインの快速新潟行きとは・・・?

 もちろんこちらのこと。臨時にはなってしまいましたが、今も健在の485系快速「ムーンライトえちご」。今回はグロッグフロッグ所員と共に、これで新潟を目指します。てなわけで、今週もお出かけ。ちなみに来週もお出かけ。再来週もお出かけ。ああ、何とでも言うが良いさ。自分でもバカだろとは認識してますんで・・・。

 と・・・その前に、253系特急「成田エクスプレス」との顔合わせを撮影。

 そして高崎駅でしばらく停車するため、続いて上野からやってきた489系急行「能登」を撮影。かつて「ムーンライトえちご」に乗り遅れ、急きょ行先を富山に変更し、この急行「能登」に乗車。ところが高崎にて「あ、両列車は高崎で接続していたんだ」と気がついたときのショックがよみがえって来ます。

 ちなみに意外にも「ムーンライトえちご」は初めての乗車です。

 続いて今度は長岡駅にて「ムーンライトえちご」を撮影。ハイ、要するに・・・眠れないわけです。

 そして目的地の新潟に到着。まだ午前5時前・・・何をすればよいのやら・・・。

 隣のホームには快速「村上」行きが停車中。これに乗って秋田方面に向かうのも手ですが・・・。

 それから弥彦線用の115系もいたので、初めて撮影。

 意外とやることのある午前5時。今度やってきた115系の行先は・・・あらら、編成の真ん中で切り離しですか?

 そして午前7時。本日の目的である寝台特急「思い出のつるぎ」号を撮影。

 前も後ろも往年のトレインマーク(ヘッドマーク)が準備されています。側面は「臨時」表示でしたが・・・。

 さて、実質的に本日のメインイベントは終わってしまいましたが、「土日きっぷ」を使っているため、まさか東京に帰るのは勿体無い。とりあえず磐越西線に乗って米沢に向かうことにします。と、その前に新津駅にて途中下車。まずは回送前のSLばんえつ物語を撮影します。

 運転に向けてスタンバイ中のC57 180号機。普段、意外にも動態保存されている蒸気機関車は撮影する機会に恵まれない私ですが、今月は同じ機関車を含めて3回撮ることになりました。

 そして583系による急行「きたぐに」を撮影。塗装こそ国鉄色より変わっていますが、グリーン車つきの長大編成は見ていて惚れ惚れします。ていうか、この塗装も非常に好き。

 新津駅の自由連絡通路よりC57 150号機を上から撮影。

 そして新津運輸区に停泊中の車両群。キハ58系国鉄色、キハ52形国鉄色、キハ40形国鉄色などもいます。ちなみに転車台の辺りにはキハ52形新潟色も多数現存。さて、これからどうするのでしょうか・・・?

 こちらが新津駅の駅舎。2003(平成15)年に改築されたもので、戦前の駅舎が消えてしまったことは残念ですが、随分と立派なものになったのは間違いありません。ひっそりとした駅前の雰囲気とのギャップが・・・。

 ところで新津は新潟市との合併と政令指定都市化を経て、現在は新潟市秋葉区に。旧市町村名を使わないのは、新市の一体感を損なうという配慮なのでしょうが、う〜ん釈然としないものが・・・。

 そんな思いはさておきまして、磐越西線の快速「あがの」に乗車。先頭がキハ110系、後ろ2両がキハE120系2両の3両編成。

 磐越西線のうち、新津〜喜多方間は未乗車。あいにくの天気ではありましたが、阿賀野川に沿って走る光景を堪能しました。

 約2時間をかけて会津若松に到着。キハE120系、格好良いですね。ステンレス車体の車両でも、ラッピング面積の拡大によって非常に明るい雰囲気になるという、良い見本です。

 さて、次の列車まで時間があるため、私のワガママで飯盛山へ。ここにある通称「さざえ堂」こと、旧正宗寺三匝堂を是非見ておきたかった次第(三匝とは、「そう」と読みます)。1796(寛政8)年、現在は存在しない正宗寺の仏堂として郁堂(いくどう)和尚が建立したもの。正宗寺は明治初期の廃仏毀釈で無くなりましたが、この「さざえ堂」は個人の所有として存続しました。

 六角3層、高さ16mの「さざえ堂」の中は、二重らせん構造の通路によって構成され、階段が無く、一方通行にて昇降別々で建物の中を上下するという構造。

 ずっとこんな感じで上へ行き、そして下っていきます。入り口と出口は当然のことながら別です。同種の建物は他にも各地に現存していますが、こんな二重らせん構造になっているのは唯一の例。近代の建築以前に、この二重らせん構造を採用したものは、フランスのロワール地方にあるシャンボール城内部にて、レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したものなど少数。いやはや、面白い。

 ちなみに、二重らせん構造までは採用しないけど、同じようにグルグル回りながら参拝する「さざえ堂」は江戸時代にヒットした形式で、全国にいくつか現存。この形式の建物は、三十三観音や百観音などが配置され、堂内を進むだけで巡礼が叶う仕組みになっています。会津の「さざえ堂」の場合、明治になるまでは西国三十三観音を安置していましたが、その後は皇朝二十四孝(会津藩道徳教本)の絵額を掲げています。

 続いて幕末の会津戦争の折、官軍との戦いで「城が燃えている!」と市中の戦災を誤認した白虎隊の二番隊20名が自刃した(1名は一命を取り留めた)場所を見学。そこから見る会津若松城は、カメラのズームで撮影するとこんな感じですが・・・。

 実際にはこんな感じ。これでは城の近くが激しく燃えていれば、城が落城したと誤認するのは無理からぬことです。新しい世を迎えることなく、志半ばで散った若者たちのことを考えると、涙せずにはいられませんね。

 それでは歴史紀行は終わり、再び会津若松駅へ。今度は只見線に乗車しますが、途中の西若松までは会津鉄道のキハ8500系「AIZUマウントエクスプレス」による快速列車に乗車。

 西若松駅は2005(平成17)年9月に改築され、城郭風の橋上駅舎となっています。う〜ん、立派!

 そして只見線の列車が入線。キハ40系による2両編成です。

 列車本数が非常に少ない只見線。会津若松駅より約40分の会津坂下駅までは住宅も乗客も、そこそこ多かったのですが、ここを過ぎるとホラこの通り。

 会津檜原駅。只見線で驚くべきは、特に福島県側の駅舎の大半は待合室レベルであっても、きちんと改築されていたこと。現在でも工事は進められており、JR東日本は只見線の活性化にかなりの資金を投入しています。

 会津宮下駅にて。各地で運転停車することもあり、撮影者には有り難い・・・。ちなみに、この会津宮下駅も大規模に工事中。

 平戸駅。冬場でも列車を安心して待てるよう、こちらも改築されたばかりといった感じでした。周辺整備も引き続き進行するようです。

 JAと郵便局がくっついた会津川口駅。これまた立派な駅舎ですね。

 会津若松行きの列車と行き違い。

 そして・・・線名の由来となったた只見駅。辺りが暗くなり、そして非常に広い駅構内にホーム1つという雰囲気がたまりません。

 次の駅が田子倉駅。見てお分かりの通り、スノーシェルターに覆われたホームが特徴。で、あるにもかかわらず(?)12月〜3月は休業するという駅で、駅の周りには民家も無く、停車する列車も1日3往復。まさに秘境駅です。

 終点の小出駅に到着。会津若松を13時08分に出た列車は、17時42分に小出に到着したのでした・・・。
 そして長岡まで行き、一旦祖母宅のある日野まで戻ります。

 で、翌日。まずは神田駅へ。偶然にも山手線命名100周年記念ラッピング電車がやってきたので撮影。明治の広告はともかく、前面も完全に茶色くしてくれれば、よりレトロっぽかったと思うのですが、しかしインパクトは抜群ですね。

 そして上野駅へ。今日もグロッグフロッグ所員と合流し、常磐線のE653系特急「フレッシュひたち」に乗車して勝田駅へ向かいます。普段、常磐線を利用することが少ないので、実は特急「スーパーひたち」も「フレッシュひたち」も乗ったことがありません。・・・と思っていたのですが、昔の撮影雑記を見返してみると、2006年12月に水戸〜石岡という短い区間で、「フレッシュひたち」には乗ってました。

 勝田駅では、ひたちなか海浜鉄道湊線に乗り換え。那珂湊駅で開催される「湊線ふれあいファン感謝記念祭」に向かいます。

 那珂湊駅に到着すると、三木鉄道からやってきたミキ300−103が絶好のロケーションで展示。

 そして今回注目の目玉が、今年7月に引退したキハ223が、生まれ故郷の羽幌炭鉱鉄道に塗られたこと。以前に引退して解体されたキハ221がこの塗装をまとっていましたが、久しぶりの登場です。そして嬉しいことに、埼玉県さいたま市緑区にある「ほしあい眼科」にて保存が決定したとのこと。末永く羽幌炭鉱鉄道の歴史を伝えていただけると嬉しいです。

 それからもう1つ、国鉄から鹿島臨海鉄道を経て、ここで活躍したキハ200形が国鉄色(たらこ色)に復元。車番もキハ20 429と、おそらく元の番号に戻されていました。ヘッドライトは改造されたままの状態ですが、それはそれで面白い組み合わせ。キハ20形にとって、また新しい塗装と形態のバリエーションが誕生したことになります。

 こちらは日本初のステンレス気動車、ケハ601。

 本日は車内も一般解放されており、ボランティアの方による説明も。内部の座席が復元されていたには驚きましたし、何を隠そう、これがこの車両のウリの1つで、クッションの中身が藁(わら)なのだとか。「これで昔は良く通ったものだ」と、懐かしそうにボランティアの方が仰っていました。座り心地は、硬いけど・・・何故か意外といい(笑)。

 それから那珂湊駅近くで国鉄色3重連を撮影。この3両は、いつまでも運用を続けて欲しいものです。

 さらに山形交通のボンネットバスが展示。ナンバープレートは土浦ナンバーとなっていますので、茨城交通の所有でしょうか・・・?

 那珂湊駅近くのレンガ倉庫。

 イベントで活気あふれる那珂湊駅。ちなみに駅舎は、1913(大正2)年に開業した当時からのレトロな駅舎(・・・だったはず)。

 そして駅周辺を散策することとし、反射炉跡に向かいます。その入り口の門が山上門で、なんと先日訪問した旧水戸藩小石川藩邸(現在の東京ドーム周辺)の正面右側の門を移築したもの。江戸時代後期に、勅使(朝廷からの使者)を奉迎するために建設されたもので、1936(昭和11)年に、当時敷地を管理していた陸軍から、那珂湊出身の深作貞治氏が払い下げを受けてここに移築しました。

 現存する唯一の旧水戸藩小石川藩邸の門で、非常に貴重な江戸の大名屋敷の遺構です。

 こちらが反射炉跡。幕末に水戸藩主の徳川斉昭が大砲鋳造のために作らせたもので、1855(安政2)年に西炉、1857(安政4)年に東炉が完成しました。しかし、その活躍は短いもので、1864(元治元)年の元治甲子の乱(天狗党の乱)という水戸藩の内戦において破壊。現在のものは1937(昭和12)年に復元されたものです。

 そんなわけで復元ではありますが、いまや復元から70年を経過。これはこれで立派な文化財です。時代背景を考えると、復元された時代背景を考えると、多少ナショナリズム的な要素もあるのでは?という気もするのですが、どうなのでしょうか。

 こちらは、その反射炉に使うために造られたレンガの焼成窯。こちらも復元されたもので、高熱に耐える白色耐火レンガを焼成しました。

 ちなみに那珂川を臨む、ここからの風景は絶景です。では、那珂湊駅に戻りましょう。

 駅に戻ると、ひたちなか海浜鉄道が売り出し中の(?)駅猫「おさむ」を発見。自由気ままな感じで、これといった愛想はありません。それがまた自然な感じでいいですね〜。

 そして国鉄色3重連に乗車し、勝田駅に戻ります。

 さらに特急「スーパーひたち」に初乗車し、大甕(おおみか)駅にて下車。こちら、日立電鉄の大甕駅の跡地。現在は一部が駐車場に転用されています。大甕駅で下車したのは、これの見学のため。

 そしてE501系に久しぶりに乗車し、勝田駅に戻ります。水戸周辺の運用に限られてしまったE501系ですが、10両編成で運用。廃止される路線があるかと思えば、JRの普通列車は10両編成。う〜ん・・・。

 勝田駅では団体列車用の485系(元ビバあいづ編成)を撮影。

 続いてタクシーにて、ひたちなか市武田にある武田氏館へ。平安時代、源義光(源義家の弟)の次男(三男とも)である源義清が、この地を領有して武田氏を名乗りました。後に源義清は勢力を拡大しようとし在地勢力との争いますが、朝廷に訴えられ甲斐(山梨県)に配流。そして甲斐で再び勢力を拡大し、有名な武田信玄に代表される甲斐源氏の発祥となりました。

 復元された武田氏館は、元々あった場所の近くに復元されたそうで、竹下元総理による「ふるさと創生事業」により建設したものだとか。歴史好きとしては有り難い使い道。たとえ復元であっても、中世の武士の屋敷を見られる例は、岩手県奥州市江刺区の「えさし藤原の郷」など数少ないので、非常に貴重な素材です。

 そして武田氏館の前にあるのが、湫尾(ぬまお)神社。武田郷の鎮守武田大明神とも称され、社殿は1648(慶安元)年に建てられたもの。茅葺屋根の拝殿が歴史を感じさせてくれます。

 再びタクシーで勝田駅に戻り、なんと普通列車でも隣駅である水戸駅まで、特急「スーパーひたち」に乗車。「土日きっぷ」だから気軽に出来る方法ですね。

 そして水郡線に乗車。今回は上写真の上菅谷駅にて分岐する、常陸太田駅までの支線に乗車します。

 昨日の只見線の方が、駅は立派だったのは気のせいか・・・(南酒出駅)。

 終点の常陸太田駅に到着。

 常陸太田駅に到着。大規模な駅前ロータリー整備が行われるようで、工事用フェンスがされていました。

 で・・・先ほどの写真を撮った場所こそ、日立電鉄の常北大田駅の跡地。駅舎は今でも休憩室として残存しており、日立電鉄交通サービスの列車代替バスが発着していきます。

 かつては列車に乗る乗客で賑わった改札口。今はひっそりとしております。

 駅舎は残っているものの、ホームは線路は全て撤去。

 廃線跡は線路が撤去されたものの、バラスト等はそのまま。周辺道路も整備されていることですし、当面はこのままでしょうか。

 そして上菅谷駅に戻り、対向列車待ち合わせの間に駅舎を撮影。

 水戸駅に到着。南口に行ってみると、巨大なヤマダ電機がオープン。JRもこれから駅ビルを造るようで、南口が一気に栄えそうです。

 近くのホテルではこんな展示が・・・。クリスマス? べ、別に興味なんて無いんだからね!

 常磐線の特急ホームへ。鹿島臨海鉄道の新塗装と・・・。

 旧塗装を撮影。う〜ん、新塗装も悪くは無いんですけど、やはり黒で縁取った方が引き締まりますね。

 こちらは勢ぞろいした国鉄の電気機関車群。鉄道博物館以外でED75形を撮影したのは久しぶり。

 旅もいよいよ終盤。特急「スーパーひたち」に乗って上野に戻り、グロッグフロッグ所員と別れ。

 で、このバカと言えば、わざわざ上野〜東京間を東北新幹線の「Maxやまびこ」で移動するという贅沢。「土日きっぷ」ですからね、どう乗ろうがOKなのです。むふふふふ。

 さて、今度の土日は某国の特別行政区に行ってまいります。11月、12月も随分とハードなことで・・・。

棒