○井伊家菩提寺「豪徳寺」と世田谷城/撮影日:2003年11月16日(日)
 本日は、美鈴ちん&大黒屋介左衛門さん推薦の吉良上野介の先祖が住んでいた世田谷区の世田谷城へ。
 
 下高井戸駅から路面電車・・・ではないと思うんだけど、一応路面電車に分類される東急世田谷線に乗ります。パスネットも使えず、「せたまる」という独自のICカードを使うのは何故?という疑問はさておき、速度は路面電車並みのスピード。そして、宮の坂駅で下車。
 ここには、かつて世田谷線で活躍し、のちに江ノ島電鉄を走った電車が保存されていました。大正14年に玉川電気鉄道45号として誕生し、社名変更に伴い東急デハ29号へ。

 さらに昭和28年に木造車体を鋼製化したため、デハ104号に形式変更となり、のちデハ87号。そして昭和45年に江ノ電601号として再デビュー。平成2年に引退し、同地に保存されています。
 さて、目的地である世田谷城の領域は現在、井伊家菩提寺「豪徳寺」、住宅地、及び城の一部分が公園として存在しています。豪徳寺は、桜田門外の変で殺された、大老・井伊直弼の墓があったり、1677年建立の仏殿(写真一番上左)、明治に建てられた庫裏などがある他、招き猫発祥の地と言われ、招き猫が沢山。江戸時代のただ住まいを残しており、必見です。

 そして左の写真が、井伊直弼の墓。近くには、彦根藩関係者も眠っていますし、墓の入り口には明治36年に彦根藩士一同が寄贈した石碑みたいなものもあります。
 左の写真が、井伊直弼の墓。近くには、彦根藩関係者も眠っていますし、墓の入り口には明治36年に彦根藩士一同が寄贈した石碑みたいなものもあります。

 そのすぐ隣が世田谷城址公園。一部、繰り返しになりますが、世田谷城は室町時代〜戦国時代の城で、忠臣蔵で有名な、吉良上野介義央の先祖が支配していた城です。

 築城したのは、南北朝時代の吉良治家・頼治の頃と言われ、吉良氏はその後、小田原の北条家傘下には入り、北条家滅亡と共に、この城も廃城となりました。なお、吉良氏自体は足利家庶流と言うことで、 徳川家によって「高家」に列せられ、格調高い行事の担当となります。

 そして忠臣蔵のあの事件が起こり、お家断絶。
 ただし、吉良上野介の息子が、上杉家の養子になり、当主となったため、今でも血統は続いております。
 最後の写真は、世田谷城址公園から真っ直ぐ、世田谷線上町駅から徒歩3分ぐらいの所にある、世田谷代官屋敷(重要文化財)。ちなみに、世田谷は彦根藩が領有していたのです。

 ですから、先ほどの豪徳寺に井伊直弼などが眠っているのです。

 まず左写真は表門。茅葺屋根が特徴的で、もちろん重要文化財。
 そしてこちらは、主屋。
 この世田谷代官屋敷は、別名「大場家住宅」といって、代官職を世襲した大場家の住宅でもありました。江戸時代の上層民家を知る上でも貴重な文化財です。

 このように、世田谷は意外に見るべき文化財が沢山なのでした。