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掲示板で、水戸街道の旧道なんて江戸時代から風景変わっていませんよ、と言う意見が出たので、それならば見に行ってやろう、と。とは言え、車もなければ免許もないので、結局、普通に名所旧跡へ行くことに。目標は、茨城県取手市に残る取手宿・・・だったのですが、何となくさらに足を伸ばし、茨城県土浦市に、土浦城を見に行きました。ともあれ、JR常磐線でGo!
と、その前に。
途中駅の我孫子で鉄道車両を撮影。まずは引退寸前の103系。
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そして、この2004年になって登場した、
485系特急型電車の新塗装を撮影します。
この時期は、成田山への初詣列車として大忙しです。
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続いて営団地下鉄(当時)千代田線の05系を撮影。
この車両、1編成しか存在していないため撮影は困難ですが、なぜかこの日はあっさりと撮影できました。ちなみにこの千代田線は、こうしたレア車両が他にも色々・・・。
運転する方は、操作法が微妙に違って大変でしょうね。
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続いてこちらはJR東日本の415系。
この写真を撮影した頃は、常磐線の主力でした。それがあっという間に新型車両投入により撤退寸前状態へ追い込まれることになります。まあ、これを書いている05年12月現在では、まだそこそこ残っていますが。
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鉄道話はこのぐらいにして、土浦駅へ到着。
駅はいかにも・・・といった感じの地方都市の大型駅で、駅前は・・・う〜ん、ちょっと先行きが不安な雰囲気。商店街に活力があまり感じられなかったです。
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さて駅から歩いて約10分。土屋氏9万石の、土浦城へ。
左写真は、平成10年に木造で復元された東櫓。ちょっとした資料館になっていて、管理をしていらっしゃる元・歴史の先生だったという人のお話を聴くことが出来ました。非常に参考になって、聴いておいて良かったです。
なんでも、土浦は霞ヶ浦をはじめ、川が非常に多く、しかも氾濫が起こりやすいので、建物がすぐ水浸しになったとか。おかげさまで、この土浦城。よく、川の中に孤立することがあったらしく、その姿から「亀城」と呼ばれるようになったそうです。
一番上の写真は、昔から残る太鼓櫓門。なんでも、これが現存したお陰で、茨城県史跡指定第1号になったとか。
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ところで、こういう人のお話って、好きな人と嫌いな人がいると思います。「静かに見学させてくれってね」。私は、好きな方です。とはいえ、こっちの質問には答えずに延々と喋り続ける人は嫌いですけどね。
なお、左は江戸時代の土浦城MAP。
現在の本丸周辺しか残っていない姿からは想像も出来ません。
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さて、突然ふらりと土浦に来たため、その他の名所などは全然調べてなくて、相変わらず帰ってから、家でネットで検索して、あらびっくり状態。それでも、水戸街道沿いには、色々と古い建物があって、撮影できました。一部は土浦市肝いりで観光名所になっていましたよん。
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同じく街並み。
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こちらも街並み。
蔵と母屋が融合している???
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他にもレンガ造りの建物がいくつか残っていました。
これは商店街の中にポツンと残されていたものですが、果たして今も存続しているのか・・・気になるところです。
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