○生麦事件、国鉄鶴見事故の横浜市鶴見区などを行く/撮影日:2006年6月3日(土)
 今日の撮影雑記は、近所の散歩ながら内容たっぷりですぜ。
 というわけで、まずはせっかくの休日だというのに朝6時に起床。というのも、デューク所員が我が家に泊まられ、藤沢で電車を撮りたいとのことだったため。もちろん、私も早速出撃し、まずは田町電車区所属の189系10両編成を撮影します。

 それから、先週も紹介した189系「彩野」を使用した快速「那須散策号」(黒磯行き)を撮影。
 先ほどの189系とすれ違うシーンを見せてくれました。考えてみれば、編成内の全ての車両が189系というのは珍しく、しかもすれ違いともなると・・・って、まあ、どうでもいい話です。

 さて、自由席もついているのでそのままデューク所員と乗り込み横浜へ。
 ちなみに、藤沢を出た時点では車内はいずれもこんな感じの空き具合。大船、横浜でそこそこの乗車はありますが、やや認知度が低かったようですね。宣伝も殆ど見たことないですし・・・。

 そして京浜急行に乗り換え、生麦駅で下車。ここで西へ向かって少し歩くと、JR線沿いに「鶴見事故」の慰霊碑(民地内)とその事故現場があります。鶴見事故というのは、恥ずかしながら私もデューク所員に教えてもらったのですが、国鉄の5大事故の1つ。昭和38年11月9日午後9時40分頃、ここ、東海道線鶴見駅と新子安駅の間で下り貨物列車が脱線転覆し、そこへ横須賀線の電車が上り、下り双方がぶつかるという3重衝突となり、死者161人、重軽傷者119人を出した悲惨な事故でした。

 ところで、生麦と聞くと歴史好きなら生麦事件を思い浮かべるとおもいますが、その通り。第一京浜沿いのその記念碑があります。生麦事件って何?という人がいましたら、ネットで調べてみてください。まあ、薩摩藩の島津久光の行列がここを通過したとき、イギリス人達がいたので無礼者!と殺害しちゃった事件。これがきっかけで、鹿児島でイギリスVS薩摩の戦争が行われ・・・って奴ですね。それにしても、今やこんな雰囲気になっているんですか(当時の様子も知らないけど)。

 そして生麦駅へ戻り、こんどは京急鶴見駅で下車します。もちろん、その前に少し撮影(笑)。

 次なる目的は、鶴見駅近くの曹洞宗総持寺という、ものすご〜く広大な敷地のお寺。
 石原裕次郎の墓があることで有名なようですが、私とデューク所員は(一応見ましたけど)、別目的です。

 まず左上は大正4年に建てられた紫雲台という、貴賓建造物。外観も立派ですが、内部も凄いようです。
 それから右上、こちらはやはり国鉄事故として名高い、桜木町事故の慰霊碑です。こちらは、列車火災で木造の電車が燃え、しかも窓が固定されていたため脱出不能だったという・・・。焼死者106人、重軽傷者92人を出しました。詳しい事故の原因などは、ネットで調べましょう。

 それから、こちらにも鶴見事故の慰霊碑があります。
 さらに右写真は、日本同志援助中国革命追念碑 汪兆銘敬題 という石碑。
 もちろん、孫文を中心とした辛亥革命に協力して亡くなった日本人を評価すべく、国民党政権の重鎮だった汪兆銘らが造ったもの。しかしご承知の通り汪兆銘は、日本政府に加担しすぎたとして、現在の中国では極悪人扱いとされています。

 それから、こちらにも鶴見事故の慰霊碑があります。
 さらに右写真は、日本同志援助中国革命追念碑 汪兆銘敬題 という石碑。
 もちろん、孫文を中心とした辛亥革命に協力して亡くなった日本人を評価すべく、国民党政権の重鎮だった汪兆銘らが造ったもの。しかしご承知の通り汪兆銘は、日本政府に加担しすぎたとして、現在の中国では極悪人扱いとされています。

 まだ旅は続きます。
 今度はJR横須賀線に乗車し、逗子駅で下車。とっとこ歩き、逗子市第一運動公園で保存されている京浜急行600形を撮影しにいきます。屋外保存で、もう長年ここにあることを考えれば、かなりいい状態で保存されているのではないかと思います。

 さらに横須賀へ行き、海上自衛隊の護衛艦などを撮影。

 たまたま横須賀駅にいた183系「あずさ」色も撮影し、テーマに一貫性のない散歩を終了。
 さて、日曜日は日光へ行ってきます。