○浅草から栃木県宇都宮市、日光市足尾、群馬県桐生市など/撮影日:2007年8月11日(土)・12日(日)

 暑さを理由に旅行を控えていた所長が、ついに夏の旅行に出発・・・といっても近所ですが。
 マンホール調査隊でお馴染み喜多見隊長を引き連れ、栃木・群馬方面に向かいますが、浅草から東武鉄道に行くことにしたため、まずは朝の浅草を散策。これほど人がいない状態で写真が撮れるとは思いませんでした。

 静寂な浅草寺。しかし、既に暑さはかなりのもので所長の体力はどんどん減っております。

 さて、東武鉄道伊勢崎線に乗車し、宇都宮に向けて出発。元々は栃木まで特急で行こうと企んでいたのですが、考えてみればこの時期に予約無しで乗られるほど、甘いことはありませんでした。上写真は30000系。

 列車は東武日光線へ直通し、途中の南栗橋駅で乗り換え。ここで、東急8500系を撮影。

 そして東武宇都宮線と乗り換える栃木駅では、189系による特急「日光」が偶然やってきたので撮影。「日光」は利用率が好調なようで、本来は485系のみだったはずが、予備の予備的存在であるはずの189系まで使用されて増発されています。この車両、一時は「ホリデー快速河口湖」でバンバン使われていましたが、当面は見られないのでしょうか。

 さて、それでは東武8000系に乗車して宇都宮へ向かいます。

 そして昼頃になってようやく宇都宮へ到着。まずは宇都宮城跡へ向かいます。
 東武宇都宮駅近くにある宇都宮城跡は、一時は僅かな公園広場的な部分を残し宅地化され、完全に破却されていましたが、近年になって復元を開始。昨年になって、ついに土塁も含めて(一部分ではありますが)復元工事が完了し、往時の威容を取り戻しました。櫓は絵図に基づいて木造で復元され、当時の伝統工法を用いています。

 また、戦後になってから完全に消え去っていた土塁部分も、文献に高さなどが詳細に記されていたため忠実に復元が可能だったそうです。

 本丸部分の復元模型。今回復元されたのは、左側の部分です。

 そしてJR宇都宮駅まで歩き(これが意外に遠い・・・)、JR東北本線で西那須野駅へ。
 現在は那須塩原市となった、旧西那須野町は明治時代以降に農業・牧畜地帯として開発されていったエリアで、大山巌・西郷従道による加治屋開墾場、松方正義による千本松(松方)農場経営など、明治の元勲達ゆかりの地であります。上写真もその一つで、乃木希典の別邸。

 惜しむらくは平成2年に焼失したことで、現在の建物は復元されたものです。
 それにしても暑かった。夕方にはそれほどでもなくなりましたが、日中は死ぬかと思いました。

 東北本線→小山駅乗換えで両毛線に乗車し、桐生(群馬県桐生市)で一泊。
 翌日は、上毛電鉄の西桐生駅からスタートします。駅舎は1928(昭和3)年築の、開業時からの駅舎。2005(平成17)年に、木造のプラットホーム共々、国登録有形文化財に指定されています。

 そして天王宿駅で途中下車し、時間の都合で桐生明治館を外観だけ見学。
 国重要文化財で、1878(明治11)年に群馬県衛生所として建築され、1928(昭和3)年に相生村役場として現在地に移築されました。バルコニーに、両脇が前に張り出したデザインが、なんとも美しい。洋風建築なんだけど、木造で装飾は和風という、この姿がまた時代背景を感じさせてくれますね。

 そして再び上毛電鉄に乗車し、赤城駅で下車。東武鉄道伊勢崎線との、乗換駅でもあります。

 ここから旧街道沿いを北上すると、そこはかつての大間々宿。
 上写真は創業天明7年という、岡直三郎商店。

 そして、わたらせ渓谷鉄道 大間々駅へ向かいます。あたりは昭和30年代のようなレトロな雰囲気。

 そして、わたらせ渓谷鉄道に乗車。左は「わ89-300形」、右は「わ89-310形」。

 終点の間藤(まとう)駅まで行き、タクシーで足尾駅へ戻ります。
 駅前にある掛水倶楽部。1899(明治32)年に建てられ、古河鉱業が華族、政府高官などの迎賓館として使用していました。現在でも宿舎として使用されているそうで、一般には土曜日・日曜日・祝祭日に公開しています。豪華な建物でございました。

 足尾駅ではキハ30系2両が保存。わたらせ渓谷鉄道アートプロジェクトの一環として車内が活用されていました。

 そして通洞駅へ行き、かつての足尾銅山坑内を見学。トロッコ列車に乗って、坑内へ行きます。
 足尾銅山は1610(慶長15)年に発見され、一時衰退するものの、1877(明治10)年に古河市兵衛が経営するようになってから、生産技術の改善などにより再び全国有数の銅山として再生。田中正造が訴えたように鉱毒問題が問題となりますが、足尾は栃木県でも有数の大都市として発展。しかし次第に銅の産出は減少し、1973(昭和48)年に閉山となりました。

 坑内は非常に涼しく、暑く火照った体には非常に有難いものでしたが、再現された銅の産出シーンを見ていると、相当大変な作業であることが推測され、当時作業にかかわった人々の労苦が偲ばれました。

 足尾産の銅で、寛永通宝などが鋳造されていたことから、江戸時代の貨幣などが多く展示されています。
 これは非常に勉強になりますね。

 ぜひ一つ欲しいものです(笑)。

 そして、わたらせ渓谷鉄道で桐生駅へ戻り、両毛線で高崎へ。
 ここから上越新幹線で東京、そして藤沢に戻り今回の旅行は終了・・・と行きたいのですが、夜から大学時代の友人が遊びに来ているため、まだまだ休めない次第でございます。これを書いている後ろでも、友人が漫画を読んでいる始末。はははは。

棒