1911(明治44)年、東京市(当時)が東京鉄道(株)を買収し、東京市電気局を創設。同時に路面電車(市電)事業と電気供給事業を開始したのが始まりである。1943(昭和18)年に都制施行に関連して、東京市電気局から東京都交通局へ名称を変更し現在の事業名に。さらに、1960(昭和35)年には地下鉄事業にも乗り出し、浅草線(浅草橋〜押上)を開業。以後、三田線、新宿線、大江戸線と地下鉄網を充実させ、大江戸線以外は私鉄との直通運転も行う。
一方で東京全域に張り巡らされていた路面電車は次々と廃止になり、現在はわずかに荒川線(約12km)を残すのみである。こちら、ホームを高くすることで車両との段差をなくすという路面電車としては珍しい形態をとる。

1960(昭和35)年登場。
浅草線の開業に伴い投入された車両で、当初は2両編成で登場。後に4両、さらに1968(昭和43)年の浅草線全通時に6両編成化され、1991(平成3)年から1995(平成7)年にかけて8両編成となった。
1995(平成7)年7月2日に営業運転を終了したが、5069が渋谷区西原にある東京消防庁消防学校の 地下鉄訓練室に、訓練用として現在も残存している。
(写真:京成電鉄 押上線 八広〜四ツ木/撮影:与太郎)
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1976年登場。
浅草線の5000形の6次車として6両編成2本が製造されたものだが、都営三田線の6000形に準じた車体となり、セミステンレス製の車体を採用。大幅にデザインを変えた。
8両編成1本に組みなおされて活躍を続けていたが、2006(平成18)年11月3日をもって引退した。
(写真:浅草線 泉岳寺/撮影:グロッグフロッグ)
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1991(平成3)年登場。
浅草線の主力車両だった5000形の置き換え用として製造された車両で、現在は完全に取って代わっている。浅草線内のみならず、乗り入れ先の京急本線、京成本線、北総線・公団線などでも広く活躍し、エアポート快特などの優等列車にも運用。羽田空港にも顔を出す。
(写真:京急本線 品川駅/撮影:裏辺金好)
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1968(昭和43)年登場。
三田線の開業に伴い投入された車両で、日本の鉄道車両で初めて補助電源装置に静止形インバータ (SIV) を採用したのが特徴。当初は4両編成で登場し、1972(昭和47)年の巣鴨
〜日比谷間の開業時に6両編成となった。
1999(平成11)年に全車両が引退したが、秩父鉄道、熊本電鉄、インドネシアのKRLジャボタベックで現在も多数が運用されている。上写真は秩父鉄道での現在の姿。
(写真:秩父鉄道 持田駅/撮影:裏辺金好)
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1993(平成5)年登場。
三田線用の車両で、後に予定されていた東急線との直通運転に備えて投入を開始。当初は非冷房の6000形を置き換えるにとどめ、6両編成×13本が登場。
1999(平成11)年に残存する6000形の置き換えで大幅に増備が行われ、6両編成×16本が投入。さらに2000(平成12)年には、目黒延伸に伴い6両編成×8本が投入され、比較的長期にわたる製造が行われた。
現在は、東急目黒線に乗り入れ、日吉まで顔を出す。
(写真:東急目黒線 武蔵小杉駅/撮影:裏辺金好)
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1971年、試作車が登場。
1978年より本格的に都営新宿線へ投入が開始され、同じ形式ながら登場年度によって色々と異なる部分が多い。また、京王電鉄へ直通運転を行っている。特に写真下の8次車はデザインを大きく変えている。
(写真上:/撮影:グロッグフロッグ)
(写真下:新宿線 新宿駅/撮影:裏辺金好)
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2005(平成17)年登場。
JR東日本のE231系をベースに製造されたもので、オール新造車の8両編成10−300形と,既存の10−000形の中間車と組成する先頭車10−300R形が存在する。ちなみに両車では帯の太さなどが異なる。
(写真:新宿線 本八幡駅/撮影:グロッグフロッグ)
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1986(昭和61)年に試作車が、1990(平成2)年に量産車両が登場。全通後、都営大江戸線となった12号線用に投入された車両で、リニアモーターを採用して車体とトンネルの断面を小型化したのが最大の特徴。写真下は豊島区の千早フラワー公園で保存されている試作車両。
(写真上撮影:雑学の博物館 禁転載)
(写真下撮影:グロッグフロッグ)
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