京浜東北線 Keihin Tohoku Line
 京浜東北線には昭和40年から103系が登場しました。実は101系のほうが後から登場するという奇妙な線区でしたが、101系自体は103系の不足分を補うための転入だったため、実質的に昭和46年以降は103系の牙城とも言える線区でした。
 最盛期には103系の総数の4分の1近くが京浜東北線での運用に就くという状態で、JR化後は日中の快速運転も始まるなどしていましたが、平成5年の209系量産車の投入以後急速に数を減らし、平成10年に京浜東北線から103系は撤退しました。
(上写真:横浜駅/撮影:デューク)
 写真はATC使用開始前後の姿で、御徒町から上野に入線してくる姿をとらえてみました。先頭車以外は冷房装置が取り付けられていません。
 ちなみに、103系の冷房用の電源は電動車にあり、制御装置は先頭車にあります。したがって、先頭車と電動車のいずれもが冷房化されないと冷房は使用できません。
 (写真:上野駅/撮影:デューク)
 まだ、ATC化の前の写真で、低運転台の先頭車が前面に立っていました。
 西日暮里駅のこのポイントは現在は架線柱が邪魔で撮影はほとんどできない状態です。

 (写真:西日暮里駅/撮影:タケチャンマン様 禁転載)

 まだ電車区であった頃の十条電車区に憩う103系。クモハ103はもともと京浜東北線用に製作された形式です。
 (写真:東十条駅/撮影:タケチャンマン様 禁転載)

 大井町付近を行く京浜東北線の103系。ATC前のものです。
 「京葉線が懐かしく思う低運転台の長編成ですね。」(撮影者談)

 (写真:大井町駅/撮影:ぷち姉様 禁転載)

 前述の通り、京浜東北線では昭和63年から山手線と並行する田町〜田端間で快速運転を開始しました。
 写真はその時のもので、ヘッドマークをつけての運転となっています。

 (写真:日暮里駅/撮影:ロクイチ様 禁転載)
 同じ線区だと思われがちですが、横浜〜大船間は京浜東北線ではなく根岸線と呼ばれています。これは愛称ではなく、正式な路線の名称です。駅の車内の案内放送でもこの区間は京浜東北線とは呼ばれず根岸線と呼ばれています。 
 ただし、京浜東北線の列車で横浜まで来る列車はすべて根岸線に乗り入れています(桜木町行きの扱いは微妙なところもありますが)。 
 (写真:横浜駅/撮影:デューク)

 103系の撤退が迫っていた頃の写真で、品川駅で待機すること1時間、ようやくやってきた103系を撮影・・・しかし、結果はご覧の通り、悔やまれる1枚になってしまいました。デジカメがあれば、撮り直しもきいたのですが・・・
 (写真:品川駅/撮影:デューク)
 最後まで京浜東北線に残ったウラ80編成。
「当時、京浜東北・根岸線の103系は、この1編成のみ。」(撮影者談)

 (写真:東神奈川駅/撮影:NAVIEW様 禁転載)