南武線 Nanbu Line
 南武線は長らく72系等の旧型国電で運転されてきましたが、昭和44年から101系の投入を開始します。その後101系で新性能化が完了しますが、程なくして昭和57年から103系が投入されます。そしてJR化後、101系は南武線から撤退しますが(支線は残存)、それと時を同じくして205系の投入が始まり、平成5年には209系まで投入されますが、103系は15編成で安定してしまいます。
 結局、置き換えが本格化したのは山手線からの205系の転属開始後で、平成16年春には1編成を残して撤退します。最後の1編成が撤退したのは平成16年の12月のことでした。
(写真:尻手駅/撮影:デューク)
 立川駅に停車中のナハ22編成。オレンジ色が幅を利かせている立川駅でこのカナリア色はインパクトがありました。
 (写真:立川駅/撮影:裏辺金好)

 川崎に向かって発車したナハ22編成。
 (写真:立川駅/撮影:裏辺金好)

 (写真:西国立駅/撮影:裏辺金好)

 ナハ20編成。ちなみに南武線の103系は平成元年ころには高運転台車で統一されてしまっていました。
 (写真:西国立駅/撮影:裏辺金好)

 ナハ27編成。南武線は103系の走行線区としては比較的条件にあっていたのではないでしょうか。
 (写真:武蔵溝ノ口駅/撮影:薫田権之助様 禁転載)

 川崎行きのナハ18編成・・・(多分)
 ホームから改札口へ向かう跨線橋からの撮影ですが、シャッターが下りるまでに電車はかなり進んでしまいました。
 (写真:津田山駅/撮影:デューク)

 南武線の103系の最期を締めくくったナハ22編成。多分南武線の103系の中ではもっとも有名な存在ではなかったのではないでしょうか。
 (写真:武蔵小杉駅/撮影:デューク)

 武蔵中原に到着したナハ22編成。
 2004年6月以降は平日の朝のみ運用に入る05Fという運用につくことが多かったようです。最終日も05F運用についていました。ファン的には運用が決まっていたほうが狙いやすいわけですが・・・
 (写真:武蔵中原駅/撮影:デューク)

 最期の1編成となった後のナハ22編成で、休日は基本的に中原電車区の奥深くで昼寝をしている状態でした。
205系に囲まれて肩身が狭そうです。
 (写真:中原電車区/撮影:デューク)

 中原電車区にたたずむナハ25編成。
 この編成は総武中央緩行線から転属車で(末期まで残っていたのは大体その口ではないかと思いますが、この編成のみは車番から確認できました。)、南武線の走行歴はそれほど長くありません。
 (写真:中原電車区/撮影:デューク)

 103系が定期的に立川まで足を伸ばしていた末期のころで、このときは2004年の6月までに全滅するという話だったのですが。
 (写真:登戸駅/撮影:デューク)

 ナハ24編成。
 南武鉄道のころの印象が残っている尻手駅と103系というのはなかなかマッチしている様な気がします。
 (写真:尻手駅/撮影:裏辺金好)

 川崎駅に停車中のナハ25編成。
 (写真:川崎駅/撮影:デューク)

 103系がナハ22編成1編成のみとなった後は、稲城長沼以遠に入る運用には基本的につかなくなっていました。
 (写真:川崎駅/撮影:デューク)