中尊寺〜岩手県平泉町〜


 岩手県平泉町は平安時代、奥州藤原氏3代(藤原清衡、藤原基衡、藤原秀衡)による100年の繁栄を誇った都市です。4代目の藤原泰衡の時代に、源頼朝によって滅ぼされるまで、東北地方の中心として、当時の京都に匹敵するといわれるほどの発展を遂げていました。特に、藤原清衡によって創建された中尊寺、基衡が創建した毛越寺は平泉文化を代表し、今もその面影を残しています。

 さて中尊寺は、今も残る金色堂があまりにも有名な平泉観光の中心地。後三年の役という戦乱を制し、奥州(東北)の支配者となった藤原清衡が、戦乱が無いように、そして高い文化がこの地に根付くようにと願い1105(長治2)年に創建しました。「寺塔四十余宇、禅坊三百余宇」(吾妻鏡)と記録が残っているほど壮大な規模の寺で、特に今も残る金色堂は東北地方特産の金を全面にふんだんに使い、さらに南海産の貝や木材も使用されています。

 奥州藤原氏が源頼朝に滅亡させられてからも、頼朝が創始した鎌倉幕府によって保護されますが次第に衰退。度重なる火災や室町時代、戦国時代の戦乱によりほとんどの建物を失います。しかし、金色堂だけは覆堂によって建物がすっぽりと包まれ風化から保護。また、東北を支配下におさめた豊臣秀吉は中尊寺の秘法である「金銀字一切経」(きんぎんじいっさいきょう)、「金字一切経」(きんじいっさいきょう)計4000巻以上を京都の伏見へ運び出し、現在は高野山や観心寺などに所蔵されています。

 江戸時代になり、仙台藩主の伊達氏が中尊寺を大きく支援します。これにより、現在われわれが見る中尊寺の形が整えられ、俳人の松尾芭蕉も金色堂などを参詣。そして、明治時代以降は日本政府が保護し、1962(昭和37)年には金色堂の解体修理が行われ、平安時代の輝きを取り戻しています。そして2011(平成23)年、世界遺産に指定されました。
(撮影・解説:裏辺金好)

○地図



○風景


参道(月見坂)
 樹齢350年の杉並木がしばらく続く参道。仙台藩によって整備されたもので、神秘的な雰囲気が漂っています。

八幡堂

弁慶堂
 現在の建物は1826(文化9)年築。平泉で非業の最期を遂げた源義経と弁慶の木造が安置されています。

参道の紅葉


本坊表門 【県指定有形文化財】
 江戸時代初期の建築。中尊寺本堂前にある薬医門形式の門です。一関藩の伊達兵部宗勝邸の門を、1659(萬治2)年に移築したものと伝わります。


本堂
 
1909(明治42)年築。様々な行事が行われる、中尊寺の中心です。


鐘楼
 1343(康永2)年に鋳造された梵鐘を収めた鐘楼。その銘には、中尊寺創建についてや建武の火災などが記されており、歴史的資料として重要。

中尊寺金色堂 【国宝】
 戦後に鉄筋コンクリートで造られた覆堂の中に、光り輝く金色堂が保存されています。1124(天治元)年築。残念ながら金色堂本体は撮影禁止。

経蔵 【国指定重要文化財】
 1122(保安3)年築。ただし、1337(建武4)年の火災によって瓦葺の2階部分を焼失しており、復旧の際、古材を用いて現在の形へ再建されたと考えられています。


金色堂と経蔵付近の紅葉は中々の美しさ。

金色堂旧覆堂 【国指定重要文化財】
 現在の建物は室町時代築。金色堂を保護するために造られたもので、このお陰で今も金色堂が残ることになりました。昭和の金色堂解体修理の際、旧覆堂は役割を終えることになりましたが、もちろん覆堂も文化財的価値が高いため、移築して保存されています。


松尾芭蕉銅像

白山神社能舞台 【県指定有形文化財】
 1852(嘉永5)年築。火災によって焼失した後、仙台藩主の伊達慶邦が造らせたものです。

白山神社能舞台 【県指定有形文化財】  
別の角度から。なお、白山神社で現在の能が行われるようになったのは、安土桃山時代に豊臣秀次と伊達政宗が参拝したときから。

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