広島電鉄 
  Hiroshima Electric Railway Company
4.大改良された横川駅
 次に見ていきたいのは、より便利な路面電車を目指して大改良がされました横川駅と、広島港の電停。
 先ほどの広電西広島駅と合わせ、広電の中でも非常に便利で美しい駅・電停へと改良されています。
 まずは横川駅から。

改良前の横川駅。JR横川駅には横断歩道を渡る必要があり面倒でした。
なお、既に新しい路面電車の横川駅の建設が進んでいた頃の姿。

同じく改良工事完成前の横川駅。

そしてJR駅舎、路面電車ホーム、バスターミナル、全ての改良工事終了後。
全ての公共交通機関が直接結びつき、利便性が飛躍的に向上しました。

路面電車用のホーム。JR線改札口から少しだけ、真っ直ぐ直進するだけです。
 長らく乗り換えが不便と言われ続け、改良が求められてきましたがなかなか関係機関との調整が難しかった横川駅周辺の結節改善事業。2002年11月1日に工事が着手され、2004年3月29日に見事、工事が完成致しました。 

 ご覧のように、JR横川駅と一体化され、横断歩道も渡ることなく、さらに雨に濡れることもなく乗り換えが可能に。また、JR駅と広電の駅に隣接して立体駐輪場が整備されたことで、自転車と公共交通機関の乗り継ぎが便利になった他、バスターミナル、近隣の商業施設も一新され、まさに今後の公共交通網と都市整備のあり方を示す、素晴らしい形なのではないかと思います。さらに、町おこしの一環として、かつて周辺を走った日本初の乗合バスが復元され、展示されています。
5.大改良された広島港

やはり港、バスターミナルと一体整備された広島港電停。

こちらも開放感を重視したデザイン。

広島港旅客ターミナルへ直結している。

付近では僅かな区間だが、芝生軌道が導入された。騒音低下に役立つか。
 こちらは、広島港が旧ターミナルの西側200mに移設されたのに伴い、路面電車も延伸の上、港と一体整備された物。2003年3月29日より、共に運用開始され、乗り継ぎが大変便利になりました。同時に、港そのものも方面別の桟橋を新設し、こちらも非常に便利に・・・。また、付近では芝生軌道が導入され、雰囲気も少し綺麗になっております。

6.バスとの結節改善〜廿日市市役所前(平良)電停  *撮影:さくら電鉄様

大規模な事例ではありませんが、非常に重要な取り組み。同一ホームで路面電車とバスの乗り継ぎを実現しました。

路面電車とバスが同時に発着するシーンも見られます。

7.広島電鉄の車庫 *撮影:さくら電鉄様(車庫公開時に撮影)
 ここまで広島電鉄の改善事例をご紹介しましたが、ここでちょっと趣味に走って車庫を御紹介。広島電鉄には本線・宮島線系統の車両が所属する荒手車庫(商工センター入り口電停付近)、宇品線などの車両が所属する千田車庫(広電前電停)、横川線や江波線の車両が所属する江波車庫の3つがあります。

連接車両が多く停泊する荒手車庫。

同じく荒手車庫にて

千田車庫は毎年6月、路面電車祭りで開放されています。

千田車庫で整備中の、もと神戸市電の車両

江波車庫に停車中の車両たち

江波車庫には珍しい車両があり、例えば上写真のハノーバー電車や・・・。

現役を退いた被爆電車156号、653号などがいます。

8.広島電鉄の歴史と今後

旧型電車を改造して創業時代の車両を再現した101号。
(写真:千田車庫付近/撮影:リン)

貸切電車として活躍する元ドルトムント市電の70形76号。
(写真:商工センター駅/撮影:リン)
 広島電鉄は、1910(明治43)年に広島電気軌道として開業。最初の路線は本線・宇品線・白島線です。

 1917(大正6)年に広島瓦斯と合併。広島瓦斯軌道となり、横川線を開業。1931(昭和6)年には鉄道線として広電西広島〜広電宮島(現広電宮島口)を開業させます。1938年(昭和13)には広島乗合自動車を買収し、市内バスの運行も開始。そして1942年(昭和17)、国策で広島瓦斯電軌から運輸部門が切り離され、広島電鉄が発足します。

 1945(昭和20)年8月6日。広島に原子爆弾が投下され広島市の大半が焼失。市内線全線が不通となります。しかしその3日後より一部で運転を再開。この時の車両の一部は現在も定期的に運転されています。

 1958(昭和33)年から、宮島線と市内本線の直通運転が開始。時を同じくして、日本各地で路面電車の廃止が始まり、それにより余剰となった大阪や京都などの電車を買い集め、増発に当てます。

 ところが、1966(昭和41)年の5400万人をピークに客が減少。 1971(昭和46)年には4200万人にまで落ち込みます。これは、自動車の増加で軌道内に車があふれ路面電車の運行が困難になり、客が逃げていったというのが問題でした。これではいけないと、広島県公安委員会は、自動車の軌道内乗り入れを禁止させます。これで、再び客が戻ってきました。しかし、今度は国鉄が新駅の開業と大増発で攻勢をかけてきます。1983(昭和58)年には3800万人にまで落ち込みます。

 そのため、新型電車3700形連接車両「ぐりーんらいなー」などが登場。当時としては珍しい、冷房のついた路面電車です。この電車がきっかけとなり、国鉄山陽本線は客を奪われまいと、電車の大増発を行い、デッドヒートを繰り広げ始めたのは有名な話。

 これ以後、国鉄、のちのJRも地方路線の増発に努めるようになる、きっかけとなった車両なのです。

 そして引き続き、市内線にも新造電車を登場させ、冷房化率を高めます。そして再び4000万人台に戻し、現在は4300万人ほどとなっています。現在では旧式にも冷房改造を施し、100パーセントを達成。さらに、1999(平成11)年より日本で2番目の超低床電車(床と地面の段差が限りなく少ない)5000形「グリーンムーバー」が投入され、勢力を拡大。すっかり街にとけ込んでいます。

 今後の広島電鉄としては、広島駅乗り入れ時の大回りルートに変わる駅前大橋経由に線路付け替え短絡化・直進化、及び、なかなか計画が前進しない平和大通り線新設工事が待たれます。また、グリーンムーバーに続く新型の路面電車5100形グリーンムーバーmaxも本格的に運行を開始し、益々目の離せない状況。

 一方で、旧型の路面電車も急速に数を減らしており(観光資源でもありますので、出来る限り残すようですが)、楽に撮影したい方は今のうち・・・のようです。既に本線系統での運行は非常に少なくなっています。ともあれ、街と共に歩む広島電鉄の路面電車達にエールを!!