栃木県日光市(1)〜日光東照宮・日光山輪王寺〜
  Nikko Toshogu in Nikko city , Tochigi

▼MAP

▼アクセス
東武日光線 東武日光駅
JR日光線 日光駅

▼関連サイト
日光観光協会ホームページ
日光東照宮公式ホームページ
 今回は、平成11年に世界遺産に指定された日光の社寺を見て行きます。一般に、日光東照宮と総称されますが、現在は日光山内にある、東照宮、輪王寺、二荒山神社の3つと、周辺の自然環境をあわせた文化的景観が世界遺産に指定されています。ちなみに建造物は国宝9棟、重要文化財94棟!! こんなところ、他にあるでしょうか?
 さて、見所も非常に多いため日光東照宮周辺については、(1)日光東照宮・日光山輪王寺、(2)二荒山神社・輪王寺家光廟大猷院、(3)日光田母沢御用邸記念公園の3回に分けて、紹介します。
 ちなみに日光ですが、勝道上人(735〜817年)が二荒山(ふたらさん)に神霊を感じ、この地に足を踏み入れ、四本竜寺(しほんりゅうじ)を建立します。これ以後、のちの輪王寺と二荒山神社が成立することになり、信仰の場として大きく注目を受けます。特に坂上田村麻呂の祈願や、弘法大師の登山と諸堂宇の建立、さらに自覚大師による諸堂宇の建立、また源頼義、義家、頼朝、実朝などによる源氏代々の信仰、そして鎌倉時代より始まった、皇族による歴代の座主就任により、いよいよ大きく発展していくのです。
 さらに、江戸時代には徳川家康の霊廟である東照宮、さらに徳川家光の霊廟である大猷院が建立され、徳川家の厚い保護を受けます。その時に造営された華麗なる各種の建築物の大半は現在も残っており、現在では世界遺産となっています。
 ちなみに、二荒(ふたら)を「にこう」と音読みし、日光と字が当てられるようになったとか。
1.日光駅周辺

JR東日本 特急「日光」(新宿〜東武日光)
 2006年3月から運転を開始した、新たな日光輸送の担い手。日光輸送のライバルだったJRと東武鉄道が手を組み、集客力のあるJR新宿駅と、JR線を経由するよりも所要時間が短くなる東武日光線を結ぶことで、互いの利益を一致させました。

東武日光駅
 JRと東武が手を組んだことから、ますます日光への玄関口となった東武日光駅。日光東照宮へは、ここからバスで行くことになります。また、歩いていくことも可能な距離です。

JR日光駅
 1912(大正元)年築。
 東武日光駅に日光輸送の拠点をついに奪われてしまった感のあるJR日光駅ですが、建築的には必見。東武日光駅に隣接していますので、是非見ておきたいところ。
 また、東北新幹線+日光線経由の場合は、現在もこちらがメインゲートとなります。

旧大名ホテル(現、日光市役所日光総合支所)
 1919(大正8)年築。外人向けのホテルとして使われた後、古河電工の所有を経て、戦後は日光町(→日光市)へ寄附。現在は合併相手の旧、今市市へ本庁舎の機能が移り、こちらは総合支所として活用されています。
 日光東照宮までの道のりにあります。

二荒山神社 神橋 【国重要文化財】
 まず我々を出迎えてくれるのが、非常に美しい景観を形成する神橋(しんきょう)。日本三大奇橋(残りは錦帯橋・猿橋)の一つに数えられる橋です。
 所属は二荒山神社で、長さ28m、幅7m。平成9年から8年をかけて修復が行われ、美しい姿を取り戻しています。

日光物産商会
 大正前期築。神橋近くの土産物等を扱う商店で、寺院風の建築になっています。

2.日光山輪王寺

三仏堂  【国重要文化財】
 1647(正保4年)築。日光山輪王寺の大本堂で、天台密教形式の伽藍。3体の本地仏を祀っていることから、この名前がつきました。間口33.8m、奥行き21.2mで、日光山随一の規模。
 1954(昭和29)〜1961(昭和36)年に大改修されています。

黒門 【国重要文化財】
 日光山輪王寺の表門。江戸時代初期に、天海僧正が創建したものです。

逍遙園
 江戸時代初期に造られた日本庭園。池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)という、池を中心に周囲を歩いて楽しむ庭園です。

逍遙園
 文化年間(19世紀初頭)に大改造され、そのときに儒学者である佐藤一斎が、この庭園名を命名しました。

逍遙園

逍遙園


護法天堂 【国重要文化財】

 1619(元和5年)築。


大護摩堂
 平成10年に新築。内部には平安中期の作といわれる五大明王を本尊としています。

光明院稲荷社
 古くから学業成就家業繁栄に信仰されている稲荷社。

日光東照宮鳥居
 それではここから、いよいよ日光東照宮へ入って行きます。

3.日光東照宮

日光東照宮五重塔 【国重要文化財】
 1818(文政元年)築。もともとは1650(慶安3)年、小浜藩主である酒井忠勝の寄進によって建てられたものですが、1815(文化12年)に焼失。そのため、忠勝の子孫である、酒井忠進の寄進によって再建されたのが現在の五重塔です。高さは34.3mで内部は吹き抜け。また、総極彩色に塗られています。

日光東照宮 神厩 【国重要文化財】
 1635(寛永12)年築。東照宮で唯一、素木造の建築で、室町時代前期の武家屋敷の厩舎形式なのが特徴。

日光東照宮 神厩(三猿) 【国重要文化財】
 長押欄干には、有名な「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿の彫刻が。また、それに加えて随所に彫られた猿の彫刻は、猿の一生を描きながら人の生き方を伝えているものです。

日光東照宮 神厩(三猿) 【国重要文化財】
 三猿については、拡大するとこんな感じ。

日光東照宮 御水舎(左)・輪蔵(右) 【国重要文化財】
 御水舎(おみずや)は、佐賀藩主の鍋島勝重が寄進したもので、1635(寛永12)年築。参拝者が手と口を清める場所で、神社では良く見られますが、こうした施設を備えたのは日光東照宮が初だとか。それまでの神社は、近くにある自然の川や湧き水で清めたそうです。

日光東照宮 唐銅鳥居 【国重要文化財】
 徳川家光が建てさせたもので、日本で最初に造られた青銅製の鳥居です。

陽明門 【国宝】
 1635(寛永12)年築。日光東照宮で代表的な門。高さ11.1mの2層造りで、正面の長さは7m、奥行きが4.4mと、規模も壮大。

陽明門 【国宝】
 500を超える彫刻や、魔除けの逆柱、両端が反り返った曲線の唐破風など、終日見ていても飽きないということから日暮門の別名もあるほど、彫刻や彩色が精巧な門。宮中(現在は京都御所)十二門のうちの東の正門が陽明門であることから、名づけられました。

日光東照宮 鼓楼 【国重要文化財】
 1635(寛永12)年築。

陽明門より
 多数の参拝者で賑わう陽明門の前。

唐門/拝殿/本殿 【国宝】
 いずれも1635(寛永12)年築。
 唐門は本殿への正門で、こここそが日光東照宮で最も重要な門。重要な祭典のときや、国賓に相当する参拝者のみしか使えません。竹林の七賢人など中国の聖賢を模した彫刻、全体に白く塗られた胡粉などが特徴。

祈祷殿・護摩堂 【国重要文化財】
 1635(寛永12)年築。江戸時代は日光門主が護摩を焚(た)いて天下太平を祈願した場所。明治時代に神仏分離が叫ばれると仏教的建物だ、と言うことで移転を命じられますが、社務所として利用するという名目で免れます。ただし、現在も正式名所は上社務所(かみしゃむしょ)。

神楽殿 【国重要文化財】
 1635(寛永12)年築。日光東照宮では数少ない純和様の建物。春の大祭では、この舞台の上で八乙女(やおとめ)が神楽を舞います。ちなみに、現在の日光東照宮には八乙女がいないため、二荒山神社から出張してくるそうです。

東回廊(奥社への参道入り口) 【国宝】
 1635(寛永12)年築。
 ここは国宝である回廊のうち、奥舎への参道入口です。

東回廊(奥社への参道入り口) 【国宝】
 この入口には、左甚五郎による眠り猫の彫刻が。数ある東照宮の彫刻の中でも特に有名なものです。

東回廊(奥社への参道入り口) 【国宝】
 国宝である回廊のうち、奥舎への参道入口。上写真の背面から見た姿。というわけで、ここから奥舎には少し登っていきます。

御宝蔵 【国重要文化財】
 1634(承応3)年築。

奥社拝殿 【国宝】
 1636(寛永13)年築。奥舎(本舎)へ参拝するための社殿。将軍でないと、昇殿出来ませんでした。なお、銅板で建物全体が包まれ、さらに黒漆で塗られているのが特徴。

鋳抜門(いぬきもん) 【国重要文化財】
 1650(慶安3)年築。銅で屋根や柱、壁などを鋳造した門で、椎名伊予による作。

奥舎御宝塔 【国重要文化財】
 徳川家康の神柩を納めた宝塔。元々は木造でしたが、徳川綱吉の時代に、椎名伊予による作で銅製に変えられました。

本地堂 【国重要文化財】
 1635(寛永12)年築。陽明門の西にあり、薬師如来を祀る東照宮最大の伽藍。天井に描かれた鳴龍の壮大な姿は必見。

二荒山神社への道