白川郷〜岐阜県白川村荻町〜


 1995(平成7)年に世界遺産に登録された岐阜県白川村荻町の白川郷。
 45〜60度という急傾斜の草葺の屋根が特徴的な合掌造りの家は、この白川村をはじめとした飛騨地方や富山県南部でかつては良く見られた構造の民家で、地域によっていろいろな種類がありますが、白川郷のものは「切妻合掌造り」と呼ばれるタイプ。本を開いて三角形に建てたような家で、雪の多い同地ならではの工夫となっています。また、南北に面して建っており、風の抵抗を最小限とし、さらに夏は涼しく、冬は暖かく保温できるような配慮がされています。
 さて、そんな飛騨地方の合掌造りの家も、高度経済成長期にはダム建設などもあって多数が壊され、さらに過疎化によって次々と集落そのものが消滅していくという事態になりました。一方で徐々に保存運動も展開されるようになり、その甲斐あって、世界遺産登録まで実現しました。しかしながら、あくまで荻町地区の59棟、富山県の五箇山こと南砺市(旧上平村)菅沼の9棟、南砺市(旧平村)愛倉の20棟が対象であり、その他については予断を許さない状況です。
 ちなみに、これら合掌造りの家は、全国各地に移築されており、営業用に現役だったり、個人で所有していたり、意外なところで出会うこともあります。特に神奈川県川崎市の日本民家園では4棟が移築されており、こちらも必見です。
(解説:裏辺金好)

○地図



○風景


長瀬家住宅
 1890(明治23)年築。長瀬家5代目当主の、長瀬民之助が建てさせたもので、樹齢150〜200年のヒノキや、300〜350年の栃(とち)などの巨木を利用し、5階建てという白川郷でも最大級の合掌造りの家となっています。ちなみに、初代から三代目当主までが医者で、加賀藩前田家の御典医を勤めており、医療器具も現在に伝わっています。
 平成13年に屋根を葺き替えたときには、NHKが1年にわたってその準備から葺き替えまでを記録し、NHKスペシャルとして放送されました。



和田家住宅 【国指定重要文化財】
江戸期に名主(庄屋)や番所役人を務めていた和田家の住宅で、主屋、便所、土蔵が残り、いずれも江戸時代末期の建築と考えられています。主屋は白川郷の合掌造民家として最大級規模で、式台玄関も備えます。





神田家住宅
江戸時代後期の1818年から10年の歳月をかけて建築。神田家は和田家(現国重文)の次男である和田佐治衛門が分家したもので、この地に産土八幡宮の「神田(しんでん)」があったことから名字を「神田」としています。


明善寺楼門 【岐阜県指定重要文化財】
1802(享和2)年築。飛騨の大工である加藤定七の設計・建築によるもの。茅葺の屋根が特徴で、付近の景観とも調和しています。ちなみに、写真左に映っている大木は、右記の本堂が再建された記念として、副棟梁の大工、与四郎が植樹した「一位の木」(岐阜県指定天然記念物)。根周り2.6m、高さ10m余り!


明善寺本堂 【白川村指定重要文化財】
1826(文政9年)築。高山の大工である水間宇助の設計・建築によるもの。未だに割れ目など老朽化が見られない頑丈な建築。


明善寺庫裏 【岐阜県指定重要文化財】
江戸時代末期築。現在は明善寺郷土館として一般公開されています。白川村の合掌造りで最も大きな建築です。




白川八幡神社
和銅年間(708〜714年)創建と伝えられます。


○白川郷合掌造り民家園

 白川郷の町並みと庄川を挟んで対岸にあり、県重文9棟を含む25棟の合掌造りを保存、公開する博物館です。



旧中野義盛家住宅 【岐阜県指定重要文化財】
1909(明治42)年の火災後に建築されたもの。加須艮地区で代々庄屋を勤めた家です。

旧中野長治郎家住宅 【岐阜県指定重要文化財】
建築年代不詳。明治初期(1878年)に中野義盛の祖先より分家した家です。

旧東しな家住宅 【岐阜県指定重要文化財】
安政年間(1858年頃)に、中野清四郎家(義盛の先代)とともに火災より焼失したため再建した建物です。


旧信称寺本堂
白川村馬狩から移築。


旧東屋荘松家板倉
1899(明治32)年築。白川村木谷から移築。


旧浅野忠一家住宅

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