浅草寺・浅草神社〜東京都台東区〜


○解説

 高層ビルが建ち並ぶ東京の中でも、どこか昔懐かしい風情を感じさせる数少ない場所である浅草。
 今から約1400年前に浅草寺(せんそうじ)が建てられてから、多くの人々の信仰の対象地として発展した場所で、特に江戸時代末期から昭和初期にかけては江戸、東京で一番の繁華街として大いに栄え、1927(昭和2)年には日本初の地下鉄が浅草〜上野に開通しました(現在の銀座線)。
 また、2012(平成24)年には隅田川を挟んで対岸に東京スカイツリーが開業するなど、観光地として大人気。また、歌舞伎などの演芸や土産物屋、花やしきなどで非常に賑やかな場所で、外国人にも大人気の場所です。
(撮影・解説:裏辺金好)

○地図



○浅草寺

 さて、浅草の中心である浅草寺。飛鳥時代の628年、檜前浜成、竹成の兄弟が隅田川で網にかかった5.5cm(1寸8分)の黄金像を、土師真中知の協力でこの場所に安置したのが起源とか。さらに645年、勝海というお坊さんがこの場所に堂を建て次第に発展。さらに、源頼朝など多くの権力者達によって保護されて益々発展していきます(ちなみに、頼朝が鎌倉に鶴岡八幡宮を立てる際に、浅草の大工を呼んだそうで、同時に「浅草」という名前が資料に載ったのは、このときが最初だとか)。そして、江戸時代も大いに発展しますが、関東大震災や第2次世界大戦のアメリカ軍による空襲によって殆どの歴史的建造物を失いました。
 現在私達が見る建物の多くは、戦争が終わったあとで再建されたものです。


雷門
 1960(昭和35)年、95年ぶりに再建された浅草寺の総門。松下電器を創業した実業家、松下幸之助の寄進によるもので、コンクリート製です。左の雷神、右の風神、そして中央の「雷門」の提灯が印象的。

仲見世通り
 雷門から宝蔵門までの140mの通りで、江戸時代の元禄期から多くの店でにぎわっていたようです。ご覧のとおり、実に多くの人々でにぎわっており、怪しげな日本土産も・・・(笑)。

伝法院
 宝蔵門の手前に存在する場所で、伝法院とは浅草寺の院号で、住職が居住する場所の名前として用いられています。多くが戦災で燃えた浅草寺の中で、ここは江戸時代の諸建築が残存。客殿、玄関、使者の間、大台所は1777(安永6)年建築。

宝蔵門
 1964(昭和39)年再建。東京大空襲によって燃えた仁王門(山門)を復興したもので、寺宝を収納することになり、現在の名前に改められました。

本堂
1958(昭和33)年再建。

二天門 【国指定重要文化財】
 1618(元和4)年築。元々は同年に浅草寺観音堂の西南に建てられた東照宮の随身門でしたが、東照宮はこの門を残して1631(寛永8)年と、1642(寛永19年)の火災によって消失。残されたこの門は、明治元年に現在の名前になりました。

六角堂 【東京都指定有形文化財】
 室町時代築(山川出版社 東京都の歴史散歩による。現地の案内板には1618(元和4)年築)。いずれにせよ、浅草寺に残る最古の建築で、建物中心の直径は1.82m(6尺)。こうした特殊な形の建築は都内では非常に貴重なものです。

五重塔
 1973(昭和48)年築。元々は1648(慶安元)年に徳川家光が造らせた五重塔がありましたが、1945(昭和20)年に戦災で焼失しています。

○浅草神社

 浅草寺本堂と二天門の間に挟まれた神社で、祭神は、浅草寺創建の起源となった檜前浜成、竹成の兄弟と、土師真中知で、三社様と呼ばれ、江戸時代は徳川家康も合祀されたことから、三社大権現と呼ばれ、1866(明治元)に三社明神と改称。さらに、1872(明治6)年には現在の浅草神社(あさくさじんじゃ)とい改称されました。
 5月に行われる三社祭は、多くの人でにぎわいます。


浅草神社拝殿 【国指定重要文化財】
 本殿、幣殿とも1649(慶安2)年築。江戸幕府第3代将軍徳川家光が建てさせたもので、本殿と拝殿の間に幣殿(石の間)を設けた、権現造と呼ばれる構造。

○その他


神谷バー本館 【国登録有形文化財】
 1921(大正10)年築。鉄筋コンクリート造6階地下1階建の建築で、正面の三連の半円アーチ窓が特徴的です。

浅草駅(東武鉄道)
 1931(昭和6)年10月に関東初の本格的な百貨店併設のターミナルビルとして建築されたもの。外観は1974(昭和49)年にアルミ製の外壁が取り付けられるなど改変が加えられましたが、東京スカイツリー開業を契機に、2012(平成24)年5月に建築当時の姿に復元され、新たな浅草のシンボルとして再生しています。

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