旧北海道庁など札幌市中心部の近代建築〜北海道札幌市〜


○解説

 今回は札幌の発展を長年にわたって支え続けてきた、明治から昭和初期にかけての近代建築たちを特集します。多くは第一線を退いていますが、記念館などとして再利用され、多くの人が訪れている例が少なくありません。 また、札幌駅の北側に広がる北海道大学は明治時代以来の近代建築も数多く残っており、必見です。併せてご紹介しましょう。
 (写真&解説:裏辺金好)

○風景


北海道庁旧本庁舎 【国指定重要文化財】
 1888(明治21)年築。ドームを載せたアメリカンネオバロック様式の建築で、国の重要文化財。赤レンガの旧道庁という名前があまりにも有名になっていますが、現在は北海道立文書館として使用されていて、建物内は展示室となっており、北海道に関係する公文書などが展示されています。
 明治期の赤煉瓦建築として 全国的にも非常に貴重な存在。なお、この建築の特徴である八角塔の頭頂部までは33m。開発が始まったころの札幌では、どこからでも見える、一際巨大な建築だったことでしょう。

北海道庁旧本庁舎 【国指定重要文化財】
5月にはチューリップが前庭に咲いており、こんな感じで撮影することが出来ます。


北海道庁旧本庁舎 【国指定重要文化財】
1階の様子。


北海道庁旧本庁舎 【国指定重要文化財】
2階の知事室。このほか、2階には北海道の歴史ギャラリー、赤れんが北方領土館、国際交流・道産品展示室、観光情報コーナーなどがあります。

旧・庁立図書館(現・道立文書館別館)
 1926(大正15)年築。札幌で最初の本格的な図書館として建てられたものです。レンガ、鉄筋コンクリート4階建て。


旧・札幌農学校演武場(現、札幌市時計台)  【国指定重要文化財】
 1878(明治11)年築。「少年よ大志を抱け!」で有名な、W・S・クラークの後を継いで教頭となったW・ホイラーの構想で建築された物で、なんと前後左右4つに時計があるのが特徴です(ちなみにボストン市ハワード社製)。

 また、鐘は東京の工部省赤羽工作分局で造られた物、さらに時計塔正面下部の「演武場」と書かれた木額は、明治維新の元勲として名高い岩倉具視の筆によるものです。1903(明治36)年に農学校が現在の北海道大学がある場所へ移転すると、住民に親しまれていたことから、3年後に当時の札幌区が買い取り、曳屋で現在地に移転(1街区南、1街区西に移転)。現在、内部では札幌農学校の歴史や、時計台に関する展示を行っています。


旧・札幌農学校演武場(現、札幌市時計台)  【国指定重要文化財】
 1階では時計台の歴史に関する展示があり、かつての札幌農学校の風景が模型で再現されています。


旧・札幌農学校演武場(現、札幌市時計台)  【国指定重要文化財】
 元々の時計台(演武場)は、このような位置にありました。


旧・札幌農学校演武場(現、札幌市時計台)  【国指定重要文化財】
 全体像がわかると、オシャレな建築であることが解ります。また、意外と後ろに長いですね。



旧・札幌農学校演武場(現、札幌市時計台)  【国指定重要文化財】
 2階は講堂になっています。上写真2枚目では時計台という愛称の由来となった時計が動いているわけですが、実は創建当時の時計が現役なのだとか。公式サイトによると・・・。

「1881(明治14)年に塔時計がつけられてから、鐘を吊すワイヤー、文字盤の木製の針、欠けた歯車の歯2本とネジ数本及び重り巻き上げハンドル軸1本を取り替えた以外は、当初の機械が正確に時を刻み毎正時鐘を鳴らしています。130年以上前のハワード社の塔時計が当時の姿のまま動いているのは世界的にも例の少ないことです。」

とのことで、建物もさることながら、この時計が動いていることが一番の価値なのかもしれません。もちろん、建物の構造が未だに歪みなく、しっかりしていることから、時計に狂いが生じないという素晴らしさもあります。


旧・札幌農学校演武場(現、札幌市時計台)  【国指定重要文化財】
 2階では別のハワード社の時計も展示されれていました。1928年から動いているそうです。


豊平館 【国指定重要文化財】
 1881(明治14)年築。北海道開拓使が洋風ホテルとして建築したもので、のち公会堂を付設して札幌の文化の中心的存在となります。元々は、北1条西1丁目という、さっぽろテレビ塔の近くにあったのですが、新しく市民会館を建設することになり、この建物は1958(昭和33)年、中島公園という現所在地へ移築されます。方角で言えば、南の方に移築されたことになります。  そして1964(昭和39)年に国の重要文化財に指定され、さらに1986(昭和61)年には老朽化対策と復元工事が施され、今見るような創建時の姿を再現。現在は、結婚式、音楽会、各種会合等に使用されています。

北海道大学農学部本館
 1935(昭和10)年築。元々は北海道帝国大学農学部本館として建築されたもの。


旧・北海道帝国大学理学部本館(現・北海道大学総合博物館)
 1939(昭和14)年築。


旧・北海道帝国大学理学部本館(現・北海道大学総合博物館)
 内部の様子

旧・東北帝国大学農科大学林学教室(現・北海道大学古河講堂) 【国登録有形文化財】
 1909(明治42)年築。元々は札幌農学校が東北帝国大学農科大学になった際に、林学教室として建てられたもの。古河財閥三代目当主・古河虎之助の寄付金によって建てられたことにより、現在の名称になっています。


旧・札幌農学校昆虫学及養蚕学教室 【国登録有形文化財】
 1901(明治34)年築。中條精一郎の設計で、木造平屋建、漆喰塗大壁造の左右対称の建築。


旧・札幌農学校図書館読書室(現・北海道大学出版会) 【国登録有形文化財】
 1902(明治35)年築。中條精一郎の設計で、2つの頂塔とT字型平面を持つ木造平屋建の図書館閲覧棟。


旧・札幌製糖会社工場(現・サッポロビール博物館)
 1890(明治23)年築。1905(明治38)年にはサッポロビールの前身である札幌麦酒の製麦所の所有となり改修。以来、北海道を代表するビール工場として長年稼動。1987(昭和62)年にサッポロビールの博物館となり、その歴史を今に伝えるとともに、ビールの試飲など、美味しい施設として多くの人に親しまれています。


サッポロビール博物館にて

9600形蒸気機関車(9643号機)
 ちなみに、そのそばには蒸気機関車が保存されています。

旧・永山武四郎邸 【道指定有形文化財】
 左の旧永山邸は1880(明治13)年頃の建築、右の木造クラブは1937(昭和12)年ごろの建築。永山武四郎は屯田事務局長、のち第2代北海道庁長官となった人物で、屯田兵の育ての親として知られています。

旧・開拓使麦酒醸造所(現、サッポロファクトリーレンガ館)
 開拓使麦酒醸造所(のちのサッポロビールの第一製造所)として建てられたもので、サッポロビール博物館と並び、サッポロビールの発展を長年支えてきた記念すべき建築。1993(平成5)年、この歴史的な建築物を保存・再利用した複合商業施設サッポロファクトリーとなり、さらなる魅力を配信しています。

カトリック北一条教会
 1916(大正5)年築。新しそうに見えますが、これは正面部分を1965(昭和40)年に増築したからだとか。

旧福山商店
 1907(明治40)年築。

日本基督教団札幌教会 【国登録有形文化財】
 1904(明治37)年築。青いとんがり屋根が特徴で、全体的には小ぶりながらも中世ロマネスク風の堂々たる教会建築です。

旧・札幌控訴院 (現・札幌市資料館) 【国登録有形文化財】
 1926(大正15)年築。控訴院として建てられた物が現存するのは、名古屋とここだけだそうです。  明治時代の最初の頃、控訴院は函館にあり、青森と北海道を管轄していました。ところが、青森の管轄が宮城に移されることになったので、移転問題が起こります。何と国会でも論戦となり、結局函館控訴院中川検事長が柿原控訴院長の連名で「札幌に移すべし」と意見書が出され、札幌に移りました。こうやって、札幌が北海道の中心として整備されていくんですね。ちなみに、第一次世界大戦の影響で予算削減されて、このような形の建物になったそうです。

 それでも、正面中央の造形(三角形の部分)に目隠しをした女神像、その左右の剣と秤、上には花の組紐に囲まれた対の鏡が浮き彫りになっているなど、非常に凝った作りの建築です。なお、札幌控訴院改め札幌高等裁判所はさらに移転し(札幌市内ですが)、この建物は1973(昭和48)年)に札幌市資料館となりました。

JR札幌駅南口駅舎(JRタワー)
 2003(平成15)年に完成した現代建築で、本ページの対象外ではありますが、北海道の顔として堂々たる姿は必見なので御紹介。タワー部分は38階建てで、東北・北海道エリアでも有数の超高層建築です。欲を言えば大丸百貨店の意匠にもう少しこだわり、装飾を豊富にすることで近代建築風にしてほしかったところですが・・・。

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