旧前田侯爵邸&日本民藝館〜東京都目黒区〜

○解説

 旧前田侯爵邸は、加賀百万石の前田家の屋敷だったもので洋館、和館ともに2013(平成25)年に国の重要文化財へ指定。

 元々、東大の赤門に名残が見られるように、本郷に屋敷があった前田侯爵家でしたが、隣接する東京帝国大学の敷地拡張に伴い、この駒場の地にあった東京帝国大学農学部実習地4万坪と、土地を交換することになりました。

 こうして、洋館が1929(昭和4)年に竣工し、続いて和館が1930(昭和5)年に竣工。当時は約1万坪の敷地に使用人100人という規模だったそうで・・・。また、前田家の場合は和館については普段生活の場としては使わず、お茶会など特別な行事の際に使用したそうです。

 さて、栄華を誇った前田利為侯爵ですが、1942(昭和17)年にボルネオ方面軍司令官として派遣され、飛行機事故によって死亡。一家は他へ移り、中島飛行機の本社が疎開してきます。そして終戦後は連合軍に接収され、第5空軍司令官ホワイトヘッドの官邸、次いで極東総司令官リッジウェイの官邸となり、さらに富士産業(旧中島飛行機)の手を経て、1956(昭和31)年に和館と一部の土地が国の所有に。1964(昭和39)年に洋館部分を東京都が買収して、1967(昭和42)年に東京都立駒場公園として一帯が保存されました。

 その後、洋館については2002(平成14)年まで都立近代文学博物館として使用されましたが、現在は駒場公園の休憩室のような役割を担って一般に公開されています。調度品は残っていませんが、暖炉や、天井につられたシャンデリアなどは、ほぼ洋館建築当時のままで、侯爵の暮らしぶりを偲ぶことができます。

 さらに、このページでは旧前田侯爵邸にほぼ隣接する日本民藝館の建物も御紹介。これは、1936(昭和11)年に柳宗悦(やなぎむねよし)が建設したもので、1983(昭和58)年に背後に増築された鉄筋コンクリート造の新館と共に、非常に重厚な印象を受けます。また、公道の向かい側には栃木県から移築した、明治時代に建設された石屋根の長屋門もあり、こちらも建築的に非常に面白く、必見です。日本民藝館については2枚しか写真がないので、先に御紹介します。
(撮影&解説:裏辺金好)

○場所



○日本民藝館


日本民藝館本館 【国登録有形文化財】
1936(昭和11)年築。柳宗悦が吉田享二の助言で設計したと云われています。本館附属塀も国登録有形文化財に指定されています。


日本民藝館西館長屋門及び附属塀 【国登録有形文化財】
1880(明治13)築。西館は柳宗悦の自邸だった場所で、長屋門は栃木県国本村(現宇都宮市)から1934(昭和9)年に移築したもの。屋根瓦と腰下の壁を大谷石としているのが特徴です。

○旧前田侯爵邸和館




1930(昭和5)年築の和館。外国賓客に日本文化を伝える目的で建設されました。




内部は書院造。伝統的な構造で形成されています。





○旧前田侯爵邸洋館


1929(昭和4)年築の洋館は、塚本靖の設計。三角屋根の搭屋を持ち、イギリス後期ゴシック様式の流れを引くチューダー様式で建設されています。





玄関ホール&階段広場
まずは1階からご紹介



2階への階段&階段下




旧応接室



旧サロン


旧大食堂


旧小食堂



2階階段脇の窓ガラス


2階階段上のシャンデリア



2階


旧書斎


次の間


旧夫人室


旧寝室


旧三男居室


旧長女居室


旧三女居室


旧女中室


旧会議室


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