会津さざえ堂・白虎隊士自刃の地〜福島県会津若松市〜
  Aizu Sazaedo etc in Aizu Wakamatsu City , Fukushima Prefecture

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▼アクセス
JR会津若松駅よりバス

▼関連サイト
福島県会津若松市「ゆかりの地」
会津さざえ堂公式ホームページ
 数多くの文化財や史跡が残る会津若松市。今回御紹介するのは、飯盛山にある「さざえ堂」と、戊辰戦争で官軍と戦った若き少年隊士の「白虎隊」の二番隊の隊士のうち、19名が自刃して最期を遂げた場所を御紹介します。なお、別ページで紹介しますが、麓にある旧滝沢本陣も、必見。セットで回られることをオススメします。
 さて、通称「さざえ堂」こと、旧正宗寺三匝堂(三匝とは、「そう」と読みます)。1796(寛政8)年、現在は存在しない正宗寺の仏堂として郁堂(いくどう)和尚が建立したもの。正宗寺は明治初期の廃仏毀釈で無くなりましたが、この「さざえ堂」は個人の所有として存続しました。
 六角3層、高さ16mの「さざえ堂」の中は、二重らせん構造の通路によって構成され、階段が無く、一方通行にて昇降別々で建物の中を上下するという構造なのが特徴。同種の建物は他にも各地に現存していますが、こんな二重らせん構造になっているのは唯一の例。近代の建築以前に、この二重らせん構造を採用したものは、フランスのロワール地方にあるシャンボール城内部にて、レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したものなど少数だそうです。

(撮影&解説:裏辺金好)

1.さざえ堂








ここで折り返し地点



2.宇賀神堂


さざえ堂の脇にあるこの小さなお堂「宇賀神堂」は、寛文年間(1661〜72)年に建立。
会津藩第三代藩主の松平正容が弁才天像と五穀の神である宇賀神を祀られました。


内部では、この飯盛山で自刃した白虎隊士19名の像を安置しています。

3.飯盛山〜白虎隊自刃の地〜


白虎隊士の墓
 正面は戊辰戦争の際、飯盛山で自刃した白虎隊士19名の墓。さらに右側には会津各地で戦い亡くなった、ほかの白虎隊士31名の墓があります。ちなみに白虎隊は、だいたい15歳から17歳で構成された部隊。年齢別に分けられたもので、ほかに他に玄武隊、朱雀隊、青龍隊などがあります。


ローマ市寄贈の碑
1928(昭和3)年に、白虎隊の話に共感したローマ市から寄贈されたもので、なんとポンペイから出土したもの。


白虎隊自刃の地
激しい戦闘を潜り抜け、ようやく飯盛山のこの場所に到着した白虎隊の二番隊士たち。
20名が自刃し、飯沼貞吉(のち貞雄)のみが一命を取り留めました。

白虎隊自刃の地
まさにこの光景を見ながら、城下が燃えているのを「城が燃えている」と誤認し、壮絶な最期を遂げたわけです。


白虎隊自刃の地
実際、カメラでもズームしてようやく天守閣が確認できる程度なので、誤認は無理からぬようで・・・。