富山県高岡市(1)〜高岡大仏と古い街並み〜 
  Takaoka City (Toyama Prefecture)

▼DATA

▼アクセス
JR北陸本線 高岡駅
▼関連サイト

高岡市観光協会  高岡市万葉歴史館
瑞龍寺ホームページ
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富山県高岡市(2)高岡城
富山県高岡市(3)雨晴海岸と伏木地区
 富山県北西部の商工業都市。加賀藩第2代藩主、前田利長が関野と呼ばれていた荒れた沼地に城下町を建設したことから商工業都市として発展し、1889(明治22)年に市制施行しました。高岡の名前は、前田利長が詩経の「鳳凰鳴矣于彼高岡」(鳳凰鳴けり彼の高き岡に)からとって高岡と名づけたことに由来します。また、主要産業の一つである高岡銅器も、前田利長が職人を集めて始めさせたことが発祥です。面積は150.55km2で、人口は約17万人。
(上写真:大伴家持像 万葉集の選者として有名な大伴家持は、伏木地区にあった国府に越中守として5年間赴任している。

高岡大仏&高岡古城公園
 駅前の商店街の一つであるオタヤ通りから真っ直ぐ進むと見えてくるのが高岡大仏。これは、銅器の生産で有名な高岡の銅で作った町のシンボル的存在。1907(明治40)年に着工され、1933(昭和8)年に完成したもので、総高15.58m、建設に使った青銅は1万3125kg! その規模は奈良・鎌倉に次ぎ、日本三大大仏の1つを名乗っています。なお、銅器作りは現在も高岡の主産業の一つとなっており、時々テレビでも紹介されていまして、主に、お寺の鐘、銅像など製造しています。

 さらに、高岡大仏から先へ進むと、かつての高岡城の跡地である高岡古城公園が見えてきます。
 高岡城は、1609(慶長14)年に加賀金沢藩2代藩主の前田利長が築城したもので、築城の名手、高山右近が縄張りを担当しました。元和年間(1615〜24年)に、一国一城令の影響で建物は取り壊されましたが、今でも城跡は堀と共によく残っており、明治維新後は公園となっています。こちらについては、別ページ「日本の城 高岡城」を参照してください。

高岡大仏
 高岡大仏は、1745(延享2)年に設置された木造の仏像を起源としていますが、2度の大火で焼失。そんなこともあり、銅器で大仏を造ったのかもしれませんね。

高岡城跡
 今でも殆どの堀が残っている高岡城。一国一城令で建物自体は撤去されましたが、城としての防御機能はまだまだ現役だったわけです。詳しくは、別ページの日本の城を参照。

 ところで、高岡は、「万葉集」を編纂したといわれる大伴家持が越中守として赴任した地であり。市の伏木地区に連なる二上山などを彼が詠んだ歌8つが、「万葉集」に収められています。そのため、高岡市には万葉植物園・万葉歴史館などがあり、さらに古城公園では10月第1周目の金・土・日曜日に万葉集朗唱の会が行われ、華やかな専用ステージが設けられます。ちなみに高岡市を走る路面電車「万葉線」の名前も、万葉集が由来です。

 また、4月30日〜5月1日には御車山祭(みくるまやままつり)が行われます。これは、前田家に関連した行事で昔から行われており、華やかな山車(だし)が市街をまわります。ちなみに国の重要無形民俗文化財。子供の頃に見ましたが、本当にこれは立派で壮大な雰囲気が漂っています。では、引き続き高岡の街並みを見ていきましょう。

金屋町の街並み
 高岡市中心部付近には古い街並みが2カ所保存されています。その1つが、これから紹介する金屋町です。ここは、高岡銅器発祥の地であり、昔ながらの格子(こうし)作りの家が今も軒を連ねています。電柱も地下に埋められており、さらに路面には銅片が埋められており、ムードを一層高めています。



有礒正八幡宮 【国登録有形文化財】
 雨晴に鎮座していた有礒八幡宮を、慶長年間に横内正八幡宮と合祀して誕生した神社。本殿は明治16年、拝殿な
どは昭和10年に建てられ、国の登録有形文化財に指定されています。

有礒正八幡宮
 まるで城の石垣のような雰囲気。この石垣は、神社が出来た慶長年間に、前田利長が寄進しました。この場所が、高岡城へ行く街道の要所だったため、このような築城様式の石垣にしたのだとか。

山町筋の土蔵造りの街並み
 高岡で保存されている街並みのもう一つが、次に紹介する山町筋の土蔵造りの街並みです。
 これは、1900(明治33)年の大火で市街地を焼失してから、昭和初期にかけ建造された防火建築群で、駅からちょっとだけ歩いたところにあります。2002(平成14)年に、全国伝統的建造物群保存地区に指定され、整備が急ピッチで進んでいます。
 以前だったら、「古い」の一言で片づけられた建物達ですが、どのような建物なのかの紹介や、見所など、ずいぶんと整備されて、こうなると立派な観光名所です。写真は、下の方にまとめて載せておきますが、1つ1つ、屋根の形や、窓の形など、それぞれが特徴的で素晴らしい建物ばかりです。行けば、見所の書いたパンフレットをくれますので、建築のことがよく解らない人でも、簡単に見所を堪能できます。
 金屋町は職人の街、山町筋は商人の街という位置づけです。街並みの雰囲気はやはり違いますね。

富山銀行本店(旧高岡共立銀行本店)
 1915(大正4年)築。建築にはあまり詳しくなくても、ピンと来ると思いますが、東京駅と同じ辰野金吾の設計です。

井波屋仏壇店(旧林屋茶舗)
 1905(明治38年)築。エントランス部分のアーチ形状が印象的な建築で、最近修復が行われました。

高岡市土蔵造りの街資料館(旧室崎家住宅)
 詩人の室崎琴月生誕の家。室崎琴月は、北原白秋などと共に活躍した人物です。高岡市有形文化財。

菅野家住宅 [重要文化財]
 1900(明治33)年築。
 菅野家は代々、高岡随一の商家として活躍した家柄です。

塩崎家住宅
 主屋は1909(明治42)年築。昭和9年に大通りが拡幅されたため、建物左側が欠きとられ、擬石の壁面となっています。

筏井家住宅 [富山県指定文化財]
 1903(明治36)年築。
 綿糸などを卸売りする商家。建物の特徴としては、2階の観音開きの土扉が、全て開けたときに一体化して収まるように設計されていること。

山町筋の街並み

高岡山町防災施設館

瑞龍寺
 高岡駅より、商店街とは反対側、南に歩いて約10分、右折して見えるのが曹洞宗高岡山瑞龍寺です。高岡の街を造った加賀藩2代藩主・前田利長(としなが)の菩提を弔うため、3代藩主前田利常(としつね、利長の弟)によって建立された寺です。ちなみに前田家は、織田信長の家臣・前田利家の前田家のこと。利長・利常兄弟は、利家の子供です。

 さて、このお寺は約20年をかけ、五十回忌の寛文3年(1663年)に完成しました。当時は3万6000坪、周囲に堀をめぐらし、あたかも城郭のようであったとか。今でも壮大なお寺で、平成9年12月、仏殿、法堂、山門の3棟が国宝に指定。さらに、総門、明王堂(現僧堂)、回廊などが重要文化財に指定されています。


瑞龍寺総門 [国重要文化財]
 1655年頃(明暦年間)築。
 瑞龍寺への最初の入り口です。

瑞龍寺山門 [国宝]
 1818(文政元)年築。総門をくぐり、続いて見えてくる瑞龍寺の門です。

瑞龍寺僧堂  [国重要文化財]
 1746(延享3)年築。坐禅修行をする場所で、京都東福寺、字治の万福寺と共に、僧堂では全国で3つだけの、国指定重要文化財となっています。

瑞龍寺大庫裏
 万治年間(1658〜1660年)築。調理配膳や寺務運営を行う場所で、山門から入って右に位置し、僧堂と対になっています。古図面や昔の部材が発見されたことにより、1988(昭和63)年に復元。

瑞龍寺仏殿 [国宝]
 1659(万治2)年築。伽藍の中央に位置する建築で、屋根は鉛板で葺かれています。これは、全国でもほかに、金沢城石川門しか例がないとか。内部の仏像は、300年前に中国から伝来したもので、こちらも非常に貴重。

瑞龍寺仏殿 [国宝]
 1655(明暦元)年頃築。仏殿の背後に建っており、瑞龍寺でも特に重要な場所です。境内で最も大きな建造物で、構造は方丈の形式に書院造りを加えた形。

瑞龍寺回廊 [重要文化財]
 1661(寛文元)年築。

瑞龍寺伽藍配置
 現在も基本的に、昔のままの伽藍配置で残っているのだから凄い。


前田利長公墓所
 さらに瑞龍寺から真っ直ぐ東へ歩くと、前田利長墓所(県指定文化財)があります。なお、ここへの道は、八丁道として石畳の歩道が、高岡市によって整備されています。




万葉線
 2002(平成14)年、加越能電鉄による運営を引き継いで誕生した、高岡市と射水市の第三セクター万葉線(株)による路面電車。乗客減→ダイヤやサービスの低下&車両老朽化→更なる乗客減→廃止という悪循環を断ち切るべく、再生された路面電車です。富山は高岡・射水のほかにも富山でも路面電車が運行されていますが、やはり乗客減から脱却すべくJR富山港線を転用した、富山ライトレールが大成功を収め、全国から注目を集めています。全国でも有数の車社会でありながら、公共交通機関の再生に取組む高岡・射水市と、富山市には脱帽するばかりです。
 さて、万葉線に乗ってみることが出来る観光地ですが、吉久電停からの吉久地区の古い街並みへ、海王丸駅から射水市の海王丸パーク(帆船海王丸が保存展示)へ行くことが出来ます。
 *射水市は、新湊市と射水郡の周辺自治体の合併で誕生。

従来車両(デ7070形)とアイトラム(MLRV1001形)
 加越能電鉄時代は冷房化さえ実施されていない状況でしたが、万葉線(株)が誕生すると新型の超低床車両を導入。従来車両も塗装を変えてイメージアップが図られています。
(写真:本丸会館前)

MLRV1000形 アイトラム
 2004年に投入された超低床車両アイトラム。サービスの大幅な向上に成功し、路面電車に対するイメージを一新。営業開始直後は、環境に適応せず故障もありましたが、現在はすっかり定着しています。