富山県高岡市(3)〜伏木地区〜 
  Takaoka City (Toyama Prefecture)
 高岡市は中心部以外にも、北部の雨晴海岸と、かつて越中国府が置かれた伏木地区が見所となっています。貴重な文化財も多数ありますので、高岡の観光の際には、高岡駅周辺で完結せず、ぜひ足を伸ばしたいものです。
(特記以外は裏辺金好撮影)

○気多神社 (撮影:リン)

気多神社-拝殿を含む外観
伏木一宮にある由緒ある神社で、本殿は1558〜70(永禄年間)に建設されました。


気多神社本殿 【国重要文化財】

気多神社-「氣多大社」の額

気多神社-「一宮」の額

気多神社-大伴神社

勝興寺
 伏木古国府にある浄土真宗本願寺派の由緒ある寺で、地名からわかるとおり、かつては越前国府の国衙が設置されていた場所です。その起源は、1471(文明3)年、本願寺8世蓮如が越中国砺波郡蟹谷庄土山に営んだ「土山御坊」。蓮如の子孫が住職を代々務め、1517(永正14)年に勝興寺となります。
 戦国時代は、甲斐の武田家や越前の朝倉氏などの大名と関係を深め発展。さらに、前田家が越中を領有してからは、前田家との関係が密接となり、江戸時代を通じて庇護を受けました。
 境内には江戸時代に建設された建物が数多く残り、重要文化財に指定。本堂は1793(寛政5年)、書院と奥書院は1671(寛文11)年、経堂が1769(明和6)年、唐門は1805(文化2)年、総門が1840(天保11)年、鐘楼と大広間と式台が江戸中期の建築となっています(この他にも江戸時代の建築多数)。

勝興寺本堂 【国重要文化財】
 1795(寛政7)年、加賀藩第11代藩主の前田治脩の援助によって完成。彼は若い頃、この勝興寺に預けられていたのですが、還俗して加賀藩主を継いだという経緯があります。
 西本願寺本堂をモデルに設計されたといわれ、約40m四方という大きさは破格。なお、近年に保存修理事業が実施されており、2005年に終了。引き続き、やはり破格の規模として名高い本坊が修理中です。

勝興寺唐門 【国重要文化財】
 1769(明和6)年築。
 構造は四脚門、切妻造、前後唐破風造、銅板葺。

勝興寺鼓堂 【重要文化財】
 1733(享保18)年築。城郭建築のような立派な鼓堂。二重二階、入母屋造、桟瓦及び本瓦の構造で、今後修理されていくと思われます。

勝興寺経堂 【重要文化財】
 

○高岡商工会議所伏木支所 (撮影:リン)

高岡商工会議所伏木支所 【国登録有形文化財】
 1910(明治43)年に伏木湊町に建てられた銀行建築。
スクラッチタイルの壁と、角部分に入り口のあるのが特徴の、2階建てのモダンな洋館です。


高岡商工会議所伏木支所
側面から撮影。

○その他、伏木地区、雨晴海岸周辺の見所

旧伏木測候所(現、気象資料館)
 1909(明治42)年築。伏木古国府に残る洋風木造建築で、明治後期の官公庁としての雰囲気を残しています(なお、付属する測風塔は昭和13年築)。平成17年10月より気象資料館としてオープンし、活用されています。

伏木北前船資料館(旧秋元家住宅) 
[高岡市指定文化財]
 明治後期の建築。秋元家は回船問屋であり、北前船で栄えた伏木の歴史を象徴しています。

棚田家住宅 【国登録有形文化財】
 明治時代築。伏木錦町にある、明治時代から昭和初期まで栄えた回船問屋の住宅です。

忍者ハットリくん列車
 氷見線の終点に接する、氷見市出身の漫画家、藤子不二雄A氏の作品である「忍者ハットリくん」をラッピングした車両が、氷見線と城端線で運行中。室内も「ハットリくん」であり、観光資源となっています。
 武田家住宅 [重要文化財]
 雨晴駅近くに残る武田家住宅は、あの武田信玄の弟、武田信綱の子孫といわれる一族の住宅です。1795(寛政7)年頃に、伏木地区の勝興寺が再建された際の余材で建築されたといわれ、独特な形をした屋根が特徴です。なお、武田家はこの地域の庄屋を務めていました。

 桜谷古墳
 武田家住宅付近に残る2基の前方後円墳です。うち1基は、前方部の幅30m、後方部の直径35mという壮大なもので、この地域における大和政権下の重要な人物がいたことをうかがわせます。

 谷村家住宅
 1868(明治元)年築。伏木中央にある商家です。国登録有形文化財。

 吉久の街並み
 吉久2丁目、3丁目に残る、幕末から昭和にかけての建築が残る街並み。万葉線新吉久駅下車。