南禅寺&水路閣〜京都府京都市左京区〜


 京都五山の中でも別格とされる南禅寺。臨済宗南禅寺派の大本山であり、その起源は亀山法皇が造営した離宮・禅林寺殿にあります。これを1291(正応4)年に無関普門を開山として迎え、寺に改めたのが南禅寺(当時は禅林寺)です。
 五山文学の中心地になるなど一時は文化の担い手として興隆しましたが、応仁の乱がはじまり戦乱の時代になると多くの伽藍を焼失し荒廃。本格的な復興がなされたのは江戸時代のことでした。
 広大な敷地の中には多数の国宝・重文を有します。特に方丈の障壁画120枚以上は狩野派の手によるもので、中でも狩野探幽作の「水呑み虎」は非常に高い知名度を誇ります。大方丈の前に広がる庭園は小掘遠州作の枯山水、通称「虎の子渡し」と呼ばれる有名な庭園です。
 亀山法皇の離宮の跡は現在も南禅院として境内に残っており、苔寺で有名な夢想疏石が作庭したと言われる池泉回遊式庭園は当時の面影を残しています。こちらも応仁の乱の影響で荒廃していましたが、1703年に徳川綱吉の母である桂昌院の寄進により再興なされました。
(上写真及び特記撮影:裏辺金好/その他撮影・解説:鯛風雲)

○場所



○風景


三門 【国指定重要文化財】
石川五右衛門の「絶景かな絶景かな」の名台詞でお馴染みの三門。建築は1628(寛永5)年。ちなみに石川五右衛門が釜茹でに処されたのは1594年(文禄3)年。実は全くの創作上の出来事でした。


三門からの風景 (撮影:裏辺金好)

法堂
 1895(明治28)年に建築された後、焼失。現在の建物は1909(明治42)年再建。


方丈 【国宝】
旧御所を移築したとわれる方丈は国宝に指定されています。内部には狩野一派による豪華絢爛な障壁画に囲まれた部屋が配置されていますが、撮影禁止の為その美しさをお伝えすることが出来ません。是非ご自身の目でお確かめください。(撮影:裏辺金好)

方丈(枯山水庭園)
方丈前の庭園は小掘遠州作庭の虎の子渡し。

小方丈庭園
昭和41年に作庭した枯山水の庭園。別名「如心庭」と呼ばれ、悟りの心の風景を表しています。(撮影:裏辺金好)

六道庭
昭和42年に作庭。六道輪廻の教えを考える庭。(撮影:裏辺金好)

天授庵石庭
 南禅寺の塔頭である天授庵の石庭で、こちらも小掘遠州が作庭に関わっています。直線的な幾何学模様が特徴的です。背後の方丈は長谷川等伯の障壁画を収めていることで有名です。

○水路閣とその周辺の風景

 さて、境内を歩いていると度肝を抜かれるのが「水路閣」です。閑静なお寺の中に突然現れるその赤レンガの建造物の正体は琵琶湖疏水の水路橋です。

 明治維新間もないころ、東京遷都を受けて衰退していった京都の街を活性化するため、あるプロジェクトが立ち上げられました。それは『琵琶湖の水資源を利用して産業を振興させる』ことでした。しかし琵琶湖と言えば山の向こう側。そこから疏水を引っ張ってくるなど、当時からしてみれば絵にかいた餅も同然だったのです。

 にも拘わらずこの国家的プロジェクトを担当したのは僅か21歳の技師、田邊朔朗でした。彼の論文上での理論を実現しようというのです。一歩間違えれば机上の空論かもしれない、ギャンブルとも言える人選でしたが、当時の京都府知事・北垣国道は何か確信を持っていたのかもしれません。

 ところでこの工事、なんと全て日本人の手によって行われたのです。近代的な技術が流入して間もない頃でしたから外国人技師を招いて設計・工事を行うのが通例でしたが、琵琶湖疏水は初めて日本人が自らの手によって成し遂げた大規模工事だったのです。

 琵琶湖と宇治川を結ぶ疏水は明治27年9月に完成し、京都の街に豊富な水資源を送ることに成功しました。同時に日本最初の水力発電所も蹴上に設置され、ここで発電された電気は日本初の電車・京都市電を動かしました。水路閣は日本の近代化の象徴でもあります。

 完成から100年以上が経過した現在でも、この疏水は庭園の水源や、防火用水、生活用水として京都の街に豊かな水を送っています。今なお生きている遺産なのです。


水路閣
 境内の中を横切る閑静な寺院とは似ても似つかぬレンガ橋。当時は景観破壊で反対する声も多かったようですが、現在は見事に風景に溶け込みテレビドラマ撮影ではお馴染みの場所となっています。設計は田邊朔朗博士。技術者でありながらも常に「美」を追求していたと聞きます。(1枚目撮影:裏辺金好)


水路閣
 柵の向こう側が水路閣。水路閣を流れる水は琵琶湖疏水の支線で、このまま手前側に進むと哲学の道、松ヶ崎、北大路方面へ向かい、果ては京都の街に弧を描くように流れ二条城近くまで至ります。

蹴上発電所水圧鉄管
 蹴上付近で一気に標高が下がるため(有効落差36m)、落差を利用して水力発電を行っています。

インクライン
 水は放っておいても勝手に落ちていきますが、船はどうしようもありません。そこで建設されたのがインクライン。インクラインとケーブルカーのことで、台車にそのまま船を載せて上下の舟溜まりを結んでいました。
 現在では線路が残され、春には両側に桜が咲き誇る名所となっています。


インクライン(貨車)
 「舟溜まり」と呼ばれる船の集合地点からはこの貨車で運びます。船をそのまま運ぶわけですから、当然軌道の幅も鉄道のそれとは比較にならないほど広く(2743mm)取られています。参考までに、JRなど日本の大半の鉄道が採用している軌道幅は1067mm、新幹線でも1435mmです。

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