江戸東京博物館〜東京都江東区〜



 江戸東京博物館は、1993(平成5)年にオープンした江戸と東京の歴史を伝える博物館で、膨大な量の模型資料(中には実物大も)や古文書、出土品、昔の道具などを展示。分館として、東京都小金井市の小金井公園内に江戸東京たてもの園があります。

 特徴的な形状の建物は1992(平成4)年に竣工したもので、設計は菊竹清訓。地上7階、地下1階の鉄骨造構造で、地上部分の高さは約62m。これは江戸城の天守閣とほぼ同じであり、入る前から江戸の雰囲気を感じることができます。

 江戸東京たてもの園は別途紹介するとして、今回は江戸東京博物館が所蔵する資料の一部を御紹介します。写真撮影も基本的にOKなので、日本史を学ぶ人間には大変ありがたい限りです。なお、2015(平成27)年3月にリニューアル。開館以来、22年ぶりのことで、様々な模型や最新の研究成果が盛り込まれいます。
(撮影&解説:裏辺金好)

○地図



○江戸ゾーン


日本橋
全長28間(約51m)のうち、北側半分(14間)を1806年と1819年の記録を元に復元。


中村座
江戸時代の歌舞伎座を1分の1で復元。イベントも行われます。


幕末の江戸城 ─ 本丸・二丸御殿
200分の1スケールで再現されています。天守閣は当時なかったので、これはイメージとして設置したものでしょう。色も違いますし。


寛永の武家屋敷
越前福井藩主松平忠昌の上屋敷を1/30で精密に再現したもの。


江戸城本丸大広間・松の廊下・白書院
 1845(弘化2)年に再建したときの図面を元に1/30で復元。ちなみに松の廊下といえば、浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に斬りかかる事件が1701(元禄14)年3月14日に発生。忠臣蔵のスタートでございます。


江戸城本丸大広間

駕籠

寛永の町人地
17世紀中期の日本橋北詰付近を1/30で復元


神田上水掛樋(かんだじょうすいかけひ)
江戸で最初に設けられた水道。1/60で復元。


長屋の生活
2015年のリニューアルで大幅に刷新。


江戸指物
板材を組み合わせて作る木工である江戸指物の製造シーンを実物大で再現


お産の風俗
江戸時代の出産は一般的に座産。産婦は、天井から吊り下げた綱や介添人を支えに出産しました。


寺子屋


絵草子屋(えそうしや)
「東海道名所図会」に描かれている和泉屋市兵衛の店(甘泉堂)を元に実物大で復元したもの。

絵草子屋(えそうしや)


寿司屋と二八蕎麦の屋台
江戸時代のファーストフードの様子が復元されています。


小判
江戸時代の貨幣も多数展示。千両箱を持つことも出来ます。


両替屋の天秤


越後屋呉服店

越後屋呉服店

両国橋西詰
軽業や歌舞伎芝居を見せる見世物小屋や、髪結床などが並んだ江戸時代後期の姿を模型で再現。


菱垣廻船(ひがきかいせん)
江戸と大阪を結んだ物資輸送船を1/10で再現。



江戸時代の上水道


中村座
実物大復元とは別に、芝居小屋の構造を説明するために1/10でも再現。

助六の舞台

○東京ゾーン


第一国立銀行
 文明開化で西洋の建築様式、そして経済システムが流入。1873(明治6)に設立された第一国立銀行の建物は、洋風建築と城郭建築を組み合わせた擬洋風建築で、豪勢なつくりでした。ちなみに、現在の「みずほ銀行」の前身の1つで、日本橋兜町4丁目、みずほ銀行ビルの外壁に「我が国銀行発祥の地」とあります。模型は1/25で再現。


鹿鳴館
 文明開化の印象を海外に知らしめようと、明治政府がお雇い外国人ジョサイア・コンドルに設計させた鹿鳴館。
 もっともコンドルはインド・イスラム風の意匠も取りいれ、単純な西洋建築とはしませんでした。
 コンドルはその後も67歳で没するまで42年も日本に留まり、辰野金吾をはじめとする建築家を多数輩出しました。



銀座煉瓦街
 1872(明治5)年の大火で銀座から築地一帯が燃えた後、明治政府が近代国家としての体裁を構築すべく誕生させた建築群。トーマス・J・ウォートルスというイギリス人が設計し、翌年に街の雰囲気は一変しました。


ニコライ堂(東京復活大聖堂)
 現在も御茶ノ水に残るニコライ堂の模型。現存するのは関東大震災で損壊し、岡田信一郎が修築したものですが、こちらはジョサイア・コンドルが設計した当時の姿を再現しています。


日本で最初の電話ボックス
1900(明治33)年に造られたものを複製したもの。


全国水平社第十四回大会ポスター


電気館
1903(明治36)年に浅草六区に造られた日本初の常設活動写真館。映画館の元祖ですね。


凌雲閣
1890(明治23)年に浅草に誕生した高層建築。12階建てでしたが、関東大震災で倒壊しました。1/10模型。


フォードA型4ドアセダン
1931(昭和6)年製。この時期のタクシー(円タク)も同型車を使用していました。


同潤会猿江裏町不良住宅地区模型(改良前)
関東大震災後にこうした密集住宅を開発し、マンション建築を手がけた同潤会。

同潤会猿江裏町不良住宅地区模型(改良後)
このような立派なマンションが建ち並び、鉄筋コンクリート造りのマンション時代の到来を印象付けました。


パーマメントウェーブ機
1920年代にアメリカ、イギリスなどで流行したパーマは、1930年代から日本でも普及。国産の機械も登場します。
こちらはその1つで、1936(昭和11)年に製造されました。


興亜の晴衣国民服ポスター
1941(昭和16)年のポスター。開襟タイプの甲号(右)と詰襟タイプの乙号(左)が描かれています。


和洋折衷住宅
1937(昭和12)年、品川区東五反田に大熊喜英の設計で建てられた住居を移築したもの。


和洋折衷住宅

戦時下の住まい


風船爆弾
第二次世界大戦中に日本がアメリカに飛ばした爆弾。ギャグのように見えますが、実際にアメリカ西海岸に達しています。アメリカの被害は軽微でしたが、そのお返し(?)にB−29による無差別空爆をいただいたわけでして・・・。


降伏文書


電気扇風機

ダットサントラックG222型
1960(昭和35)年製。日産自動車の小型トラックブランド「ダットサン」の2代目シリーズの1つ。

スバル360
富士重工業が開発した軽自動車。


ひばりが丘団地のカットモデル
現在は東久留米市と、西東京市となった田無、保谷に広がっていた団地で、なんと2714戸もあったそうです。なお、1962(昭和37)年頃の様子を再現しています。



戦後を代表する様々な商品や服装などが、年代別に展示されています。

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