大正期の憲政擁護運動では憲政の神様と呼ばれ、そして戦前では政友会総裁として、最後の政党出身者による首相となり、軍国主義の風潮が強まる中で1932(昭和7)年の五・一五事件で海軍青年将校たちの凶弾に倒れた犬養毅。
岡山県岡山市北区には、その犬養毅が生まれた生家が今も残ります。犬養家は代々、この地方の大庄屋や郡奉行を務める旧家であり、犬養毅生家は江戸中期に建てられものが今も残り、江戸時代の住宅建築としても非常に価値が高いもの。旧犬養家住宅として、国の重要文化財に指定されています。屋根を本瓦葺とした、数少ない農家の遺例だとか。
室内は長年の使用により創建当時とは異なる姿になっていましたが、1976(昭和51)年の解体修理の際、柱や梁の跡形を元に創建時の姿を復元しています。
(撮影&解説:裏辺金好)
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