水城〜福岡県大野城市〜
  Mizuki in Onojyo City , Fukuoka Prefecture

 水城は現在の福岡県大野城市から太宰府市にかけて7世紀に造られた国防施設の跡。663年、大和朝廷は朝鮮半島の動乱に際して百済(くだら/ひゃくさい/ペクチェ)を救援するために軍を派遣しますが、唐と新羅(しらぎ/シルラ)の連合軍に敗北し、急きょ国内の防衛を固めることになりました。水城はこうした政策の一環で築造された長大な土塁(高さ10m以上、幅80m、長さ1.2km)と堀で、水城に連なる大野城と合わせて、九州における朝廷の拠点であった大宰府を守護する役割があったと考えられています。

 現在は多くの木に覆われていたり、一部が鉄道や道路の建設に伴い崩されていますが、大野城山麓と下大利(しもおおり)を結ぶ水城による防御ラインはくっきりと残っており、古代の国際情勢を今に伝える重要な史跡として見ることができます。
(撮影&解説:裏辺金好)
 ▼MAP

 ▼アクセス
 JR鹿児島本線水城駅などから徒歩

▼関連サイト
 大野城市役所「水城」

○風景

西門跡
西門は発掘調査が行なわれた結果、立派な門が存在することが確認。
現在の福岡城跡にあった朝廷の外交施設である鴻臚館(こうろかん)へ真っ直ぐ続く官道の跡も発見されています。