金剛峰寺と壇上伽藍〜和歌山県高野町〜


 金剛峰寺は高野山真言宗総本山の寺院。真言宗と高野山のつながりは、816(弘仁7)年に真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が嵯峨天皇から高野山を賜り、伽藍の建立に取り掛かったことから歴史が始まりますが、総本山である金剛峰寺についてはもう少し新しく、1593(文禄2)年に豊臣秀吉が母の菩提を弔うために、木食応其上人(もくじきおうごしょうにん)に命じて建立したのが始まりです。

 当初は母堂の剃髪が納められたため、剃髪寺と名付けられ、後に青厳寺(せいがんじ)と改称。江戸時代は徳川家の庇護を得て隆盛を極めます。さらに、1868(明治元)年に行政官から青巌寺を金剛峯寺へ改号するよう指導され、翌年に隣接していた興山寺と合併するとともに、金剛峯寺へと改められました。また、金剛峰寺の住職は座主と呼ばれ、高野山真言宗管長が就任しています。
(※金剛峰寺の名称自体は元々、空海が高野山全体を指す名称として名付けたものです)

 2004(平成16)年にユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部として登録されました。また、金剛峰寺とその周辺には数多くの歴史的建造物がありますが、ここでは金剛峰寺と壇上伽藍を中心に御紹介します。

(解説&撮影:裏辺金好)


○場所



○金剛峰寺の風景


中央が金剛峰寺、その西隣が壇上伽藍。さらに西へ行くと大門があります。
今回はこの3つについて、御紹介します。

正門  1593(文禄2)年築。当初は正面から入ることが出来るのは天皇・皇族、高野山の重職のみで、一般の僧侶は右手の「くぐり戸」から入りました。

鐘楼 【和歌山県重要文化財】 / 経蔵
鐘楼は1864(元治元)年築。また写真右手奥の経蔵は、1679(延宝7)年築。


主殿
1863(文久3)年築。直ぐ上の写真は大玄関で、天皇・皇族や高野山重職だけが出入りできました。



主殿内部
写真2枚目の左側は豊臣秀次が自害した場所で、柳の間。
ただ、建物は江戸時代のものなので、位置がかつての場所・・・ということでしょうか。

主殿内部(上段の間)  天皇・上皇の応接間として使われた部屋で、現在は重要儀式で使用されています。御覧のとおり、壁は総金箔押し。天井は折上式格天井(おりあげしきごうてんじょう)。さらに、上段の右側にあるふすまの奥には部屋があり、武者隠しとなってます。

中庭
上段の間の向かい側へ、江戸時代に作庭されたもの。四季折々の風景が眺められます。

蟠龍庭
2340uの石庭で、2対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現。



台所

○壇上伽藍(壇場伽藍)

 総本山金剛峯寺の西隣にあって同寺が管理。空海が在世中に堂宇を営んだ由緒ある場所で、まさに高野山の中核となる場所です。高野山を代表する風景として、観光ポスターなどで良く登場します。

中門
五間二階の楼門で、1843(天保14)年の大火で焼失。
2014(平成26)年に高野山開創1200年記念大法会の記念事業として、木造で再建されました。

金堂  1932(昭和7)年築。1926(昭和元)年に焼失したため、武田五一博士の設計によって鉄筋コンクリート造りで再建されました。


根本大塔
1937(昭和12)年築。鉄筋コンクリート造りで再建されたもので、観光パンフレットでお馴染み。
金堂の右後方にあり、内部は中央に胎蔵界大日如来像、その四方に金剛界四仏を安置しています。

東塔 【国史跡】
1984(昭和59)年築。元は白河法皇の御願により1127(大治2)年に建立されたもの。


三昧堂 【国史跡】
1843(天保14年)築。元は歌人として知られる西行法師が1177(治承元)年に建立。

大会堂  1847(弘化4)年築。名称は、江戸時代から壇上で大法会がある際に、まずはここで行列を整えたことに由来します。

愛染堂
1847(弘化4)年築。


不動堂 【世界遺産/国宝】
鎌倉時代後期築と推定。元は1197(建久8)年に鳥羽天皇の皇女院の御顔により建立。

御影堂
1847(弘化4)年築

准胝堂
1883(明治16)年築

孔雀堂 【国史跡】
1984(昭和59)年築。元は後鳥羽法皇の御願によって1200(正治2)年に建立。
快慶作の孔雀明王像を安置しています。

西塔 【国指定重要文化財/国史跡】
1834(天保5)年築。金剛界大日如来像と胎蔵界四仏を安置しています。
元は空海の遺志によって、第二世真然大徳が887(仁和3)年に建立。現在は5代目です

鐘楼

山王院拝殿
1594(文禄3)年築。

山王院本殿(御社) 【世界遺産/国指定重要文化財】
1522(大永2)年築。総社、丹生明神社、高野明神社の3つの社殿から成ります。

六角経蔵
1933(昭和8)年築

○金剛峯寺大門


大門 【世界遺産/国指定重要文化財】
1705年築。高野山の入り口にあり、五間三戸(さんこ)の二階二層門で、高さは25.1m。

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