北条氏ゆかりの史跡〜静岡県伊豆の国市(旧韮山町)〜


○解説

 韮山反射炉で有名な旧韮山町ですが、源頼朝が流罪になり北条政子と運命的な出会いのあった蛭が島をはじめ、北条時政の屋敷があったことなど北条家ゆかりの地でもあります。このページでは、韮山駅周辺に残る北条氏関連史跡を中心に御紹介します。
 (写真&解説:裏辺金好)

○風景


蛭が島公園
韮山反射炉の近くは、歴史の偶然と申しますか源頼朝が配流された場所。これを記念して、蛭が島公園が整備され、源頼朝と北条政子の像が建立されています。実際に源頼朝がここに住んでいたかどうかは不明ですが、この辺りにはいたんですね。


旧・上野家住宅 【静岡県指定有形文化財】
北条氏とは関係がありませんが、公園内に移築されている江戸時代中期に建てられた農家住宅です。現在は市歴史民俗資料館として使われています。

○蛭が島公園の場所





北条氏館跡(円成寺跡) 【国指定史跡】
北条氏の本拠地だった場所で、鎌倉幕府滅亡後に第14代執権であった北条高時の母である覚海円成を中心とした北条一族の女性たちが韮山へ戻るにあたり、一族の菩提を弔うために円成寺を建立しました。

○北条氏館跡の場所




堀越御所跡
 敷地の一部は戦国時代、将軍の足利義政が、同じ一族ながら言うことを聞かない古河公方に対抗するため、弟の足利政知を伊豆に配置(本来は鎌倉公方として鎌倉に派遣を試みますが、力が弱く実現せず)。この際に居館として堀越御所をここに造ったそうです。

 当時は北条時政の屋敷跡が再利用できるような基盤が残っていたのでしょうか。歴史は面白いですね。

北条政子産湯の井戸跡
 向かい側には北条政子産湯の井戸が残ります。


成福寺
 その隣にある成福寺は、北条時政が、源頼朝・北条政子の新居として与えた場所。そして、鎌倉幕府第八代執権北条時宗の第3子である北条正宗が、鎌倉幕府が滅亡した1333年(正慶2年/元弘3年)に北条一族の菩提を弔うために、一宇を開創。さらに北条正宗の長子、北条宗仁がこれを修造して成福寺を建立しました。

 さらに戦国時代には韮山を支配した北条早雲や、その孫の北条氏康の庇護を受け、後北条氏滅亡後も北条家が住職を務めています。


真珠院
 源頼朝最初の妻となった八重姫は、平家の威光を恐れた父の伊東祐親によって別れさせられ、子供を殺されてしまいます。その後、源頼朝は北条時政の庇護を受けて北条政子と結婚しますが、八重姫のその後については良く解っていません。一説によると、意を決して父の元を抜け出して源頼朝の元へ向かいますが、頼朝の心変わりを知って、この寺の前にある真珠ケ渕に身を投じて亡くなったと云われています。

 供養堂が建立されており、「せめて梯子があれば姫を助けられたものを」という人々の思いから、今もミニ梯子が奉納されています。

平(山木)兼隆屋敷跡
伊豆国目代であった平兼隆は、元々は北条時政が北条政子を嫁がせようと考えていたとも云われる相手。1180(治承4)年に源頼朝らが挙兵した際は、最初に討たれてしまいました。こちらは韮山代官の江川邸近くにありますが、この看板以外に目立った解説板等は無く、非常に見つけづらいです。

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