博物館 網走監獄〜北海道網走市〜
   Abashiri Prison Museum in Abashiri City , Hokkaido Prefecture

▼MAP

▼アクセス
JR網走駅よりバス(徒歩だと40分)

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博物館 網走監獄へ ようこそ!
 北海道を代表する観光名所の1つ、博物館網走監獄。
 明治以来使用されてきた、網走監獄(のち網走刑務所)の歴史的建造物を天都山へ移築、もしくは再現して1983(昭和58)年7月に開館しました。2008(平成20)年5月2日には通算入館者数が一千万人を突破するなど、年々観光客は減ってはいるものの、依然として高い人気を誇っています(ただ、平成13年に年間47万人もいた来場者が、平成19年には31万人弱にまで減少したのは気になります)。

 さて、上写真は「赤レンガ門」との通称で知られる正門。最果ての監獄として恐れられた網走刑務所の象徴とも言える存在です。原建物は1922(大正11)年に建築され、現在の建物は1983(昭和58)年に再現されたものですが、使用されている煉瓦は窯の中に塩を入れ、塩が分解する1160度以上の高温で焼き上げるという、特殊な製法によって作られたもので、現在はその製法ができないために貴重なものとなっています。

 なお、原建物は現在も網走刑務所の正門として現存。(参考:北海道資源データベース
 また、この正門の完成まで使用された、1912(明治45)年に木造で造られた旧正門は、網走市南6条東2丁目永専寺に払い下げられて、現在も山門として残っています。(こちらも参考:北海道資源データベース
(撮影&解説:リン *一部裏辺金好補筆)

博物館 網走監獄の風景

網走刑務所旧庁舎 【国登録有形文化財】
 1912(明治45)年築。一見すると洋風建築ですが、随所に日本家屋の建築様式を採り入れた擬洋風建築となっています。1988(昭和63)年に、ここに移築保存されました。現在では中でミュージアムショップが営業しており、網走刑務所での作業製品などを購入することができます。

休泊所
 受刑者が北海道の開拓作業に従事させられていた頃は、泊まりがけで刑務所外に出て作業していました。その際に寝泊まりをした場所がここで、工事の進行に伴い解体と移動を繰り返していたことから「動く監獄」とも呼ばれました。後に一般労働者がトンネルや橋の工事で強制労働させられた際に使用された「タコ部屋」は、この休泊所がもとになっていると言われています。

内部は非常に簡素な作りで、就寝時は丸太を枕にしていました。
起床時には看守が丸太の一端を叩いて受刑者を起こしていました。

教誨堂 【国登録有形文化財】
 1912(明治45)年築。当時の受刑者によって建てられましたが、「ここは神仏の宿る家だから」として精魂込めて建築にあたったと言われています。教誨堂の名の通り、受刑者に対しての精神面での教導がなされた他、室内でのスポーツや演芸なども催されるなど、憩いの場として機能していました。


五翼放射状舎房 【国登録有形文化財】
 1912(明治45)年築。少人数でも監視がしやすいように、中央見張りを中心に雑居房・独居房のある舎房が5方向に伸びるように配置されていることからこの名が付けられています。明治時代の建築ながら1984(昭和59)年まで使用されていました。現在も明治時代の監獄の様子を完全に留める建物として非常に貴重な存在になっています。




 ここの第4舎房24房には伝説的な脱獄犯の白鳥由栄が収監されていました。
彼はここでも脱獄に成功しており、その際の様子が再現されています。

煉瓦造り独居房
刑務所内で規則違反を犯した受刑者に対する懲罰を行うための小屋。

窓は無く、狭く暗い室内で1週間もの間食事量を減らされるという罰は非常に辛いものであったと言われています。

二見ヶ岡農場 【国登録有形文化財】
 1986(明治29)年築、1999(平成11)年移築。網走刑務所の施設ではあるものの、外役所のためにその建物内に舎房や教誨堂、浴場など全てが揃っています。ここは受刑者自身の自立を促す開放的処遇施設という重要な役割を担っており、肥沃な土地を活かした馬鈴薯の栽培などを行っていました。

現在の網走刑務所で出されている食事を再現したものを、館内の二見ヶ岡農場にある食堂で食べることができます。
季節ごとにメニューが変わり、この時はサンマや春雨サラダなどでした。

浴場
 入浴は受刑者にとって食事と並んで最も楽しみなひとときの一つでした。また、大勢が寝食を共にすることから入浴による衛生面の確保というのも疎かにはできないことです。内部はマネキンが設置され当時の入浴の光景が再現されています。号令によって厳しい制限がされていたといいます。