仙巌園・尚古集成館〜鹿児島県鹿児島市〜



○解説

 仙巌園は1658(万治元)年、島津家19代当主の島津光久によって築かれた別邸で、磯御殿とも呼ばれます。錦江湾や桜島を借景にした見事な庭園が特徴で、敷地面積は50,000平方メートル。1958(昭和33)年に国の名勝に指定されています。

 1881(明治21)年からは、島津氏第29代当主の島津忠義が政府の許可を受け、東京から鹿児島に帰郷し、ここに居を構えます。現在は島津興業が管理しており、一般公開されています。

 幕末から近代にかけては薩摩藩や鹿児島県の迎賓館的な利用が行われ、勝海舟やイギリス公使パークス、大正天皇、昭和天皇などの皇族方、ロシア皇太子ニコライ2世、イギリス皇太子エドワード8世など国内外の要人が訪れました。

 また、幕末期には第28代当主の島津斉彬が敷地の一部を使い、ヨーロッパ式製鉄所やガラス工場等を建設した近代化事業(集成館事業)を起こしました。この当時の建物の一部は今も残り、尚古集成館として仙巌園と一体的に後悔されているほか、2015年に「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の1つとして、世界遺産に登録されています。
 (撮影・解説:裏辺金好)

○場所



○風景


鉄製150ポンド砲(復元)
島津斉彬が鹿児島防衛のため、西洋式の反射炉を造って鋳造させた大砲を復元したもの。1863(文久3)年の薩英戦争の際には、鹿児島城下に2門の150ポンド砲が置かれたそうです。


反射炉跡
大砲製造のため、銑鉄を溶かして大砲の鋳型に流し込む炉で、オランダの書物を元に建設。1号炉は1853(嘉永6)年に完成しますが失敗し、1857(安政4)年に2号炉が完成し、運用されました。現在の遺構は2号炉のものです。


反射炉(復元模型)


島津家水天渕発電所記念碑
薩摩藩の山ケ野金山(霧島市・さつま町)は明治以降も島津家が採掘しており、1907(明治40)年に採掘の近代化に伴い電力需要が生じたため、現在の霧島市隼人町に水力発電所を建設。その建物の一部(入口上部)を、記念碑として移築したものです。


示現流・自顕流展示室


正門
明治28年築。クスノキで建てられており、大河ドラマ「篤姫」では薩摩藩邸として登場しました。


錫門
江戸時代は正門として使用。屋根が錫で葺かれています。当時は薩摩藩主と世継ぎしか通ることが許されませんでした。




磯御殿
明治時代に島津忠義が居住した御殿。




望嶽楼
桜島(嶽)を眺める(望む)ための、あずまや。約350年前に琉球国王から贈られたもので、勝海舟やロシア皇帝のニコライ2世も利用しました。




曲水の庭


宝蔵庫
明治中期に建てられたもの。


鶴峰神社

尚古集成館本館 【国指定重要文化財】【世界遺産】
1865(慶応元)年に建てられた集成館の機械工場。現在は、島津斉彬の近代化事業を始めとする博物館です。

磯珈琲館(旧・芹ヶ野島津家金山鉱業事業所)
明治37年築。現在地には1986(昭和61)年に移築されました。

磯工芸館(旧・島津家吉野殖林所)
明治42年築。現在地には1986(昭和61)年に移築されました。



異人館(旧・鹿児島紡績所技師館) 【国指定重要文化財】【世界遺産】
1867(慶応3)年築。鹿児島紡績所が建設された際に、指導者として招かれたイギリス人技師イー・ホームら7名の宿舎として建築されたもの。元々は現在地近くに建てられたものですが、一時は県立鹿児島中学校(後の第七高等学校造士館)の本館として鶴丸城へ移築されていました。

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