成田山新勝寺〜千葉県成田市〜


 成田山新勝寺は真言宗智山派の寺で、「成田不動」あるいは「成田山」とも通称されます。正確な創建は明らかではありませんが、元々は小さなお寺で江戸時代中期、元禄年間から境内が本格的に整備され始め、今もその多くが現存しています。
 特に、初代市川團十郎は成田不動に帰依し、子授けの祈願を成就。「成田屋」を名乗り、お不動様にちなんだ歌舞伎を演じたことから、成田参詣が盛んになります。近代には成田参詣のアクセスとして、現在のJR成田線と京成電鉄が敷設されたことから、交通アクセスが格段に向上。今に至るまで、首都圏でも有数の人気寺院となっています。
(撮影&解説:裏辺金好)

○地図



○風景


薬師堂
1655(明暦元)年に建設された、成田山新勝寺の3代前の本堂。初代市川團十郎 が参拝したのは、このお堂でした。1855(安政2)年に現在地である、成田駅方向から、成田山へ向かう三差路の左側へ移築されています。成田山新勝寺から見ると完全に飛び地状態。


参道
奥に成田山新勝寺が見えます。地形の関係もあり、いったん坂道を下っていきます。

参道



大野屋旅館
1935(昭和10)年築で、望楼付きの木造3階建てなのが特徴。江戸時代中期創業で、現在は旅館は営業せず食事処、漬物店として営業しています。3階に114畳敷き大広間があり、能舞台も備えます。


大野屋旅館(復元)
成田市内の「房総のむら」で再現された江戸時代後期の旅館「ふさや」は、1927(昭和2)年まで使用されていた大野屋旅館をモデルにしています。


一粒丸三橋薬局店舗 【国登録有形文化財】
明治前期の建築。参道に面した、土蔵造2階建て、東西棟の切妻造桟瓦葺の建物です。さて、坂を下り切ったところで成田山新勝寺が見えてきます。



総門
2007(平成19)年築。総欅造の楼門です。写真は1枚目が出来て間もない2008年6月、2枚目が2018年1月の姿で、約10年で良い感じに色合いが出てきました。ここから、再び登っていきます。ブラタモリでやっていましたが、このように参道で一度下らせて、お寺で登らせるという仕掛けなのだとか。


仁王門 【国指定重要文化財】
1830(文政13)年築。正面向かって左側に密述金剛(みっしゃくこんごう)、右側に那羅延金剛(ならえんこんごう)を安置しています。


大本堂
1968(昭和43)年築。成田山で最も重要な御護摩祈祷を行う中心道場で、御本尊である不動明王が安置されています。



三重塔 【国指定重要文化財】
1712(正徳2)年築。 周囲には「十六羅漢」の彫刻がめぐらされています。1981(昭和56)〜1983(昭和58)年にかけて、古文書に記されていた記録を元に鮮やかな塗装が復元され、現在の姿に。

鐘楼
1701(元禄14)年築。


一切経堂 【成田市指定文化財】
1722(享保7)年築。輪蔵に、一切経(約2,000冊)が納められています。また、入口の扁額は寛政の改革でお馴染み、松平定信の筆によるもの。


聖徳太子堂
1992(平成4)年築。


釈迦堂 【国指定重要文化財】
1858(安政5)年築。先代の本堂で、釈迦如来や、普賢、文殊、弥勒、千手観音の四菩薩が奉安されています。現在の大本堂建築にあたって、現在地へ移動しています。

光明堂 【国指定重要文化財】
1701(元禄14)年築。釈迦堂の前の本堂、つまり2代前の本堂で、大日如来、愛染明王、不動明王が奉安されています。





額堂 【国指定重要文化財】
1861(文久元)年築。江戸時代以来の様々な絵馬が奉納されているほか、七代目市川團十郎の石像も。


総門

天満宮
1887(明治20)年築。菅原道真を祀ります。


朝日観音
1867(慶応3)年築。


清滝権現堂・妙見宮
1732(享保17)年築。


醫王殿
2017(平成19)年築。開基1080年祭記念事業として建立されたもので、木造(総檜)です。


平和の大塔
1984(昭和59)年築で、総高は58m。

成宗電車第一トンネル跡 【土木遺産】
1910(明治43)年築。これは、成宗電車(成宗電気軌道)という千葉県で最も古い電車が通っていたトンネル。成宗電気軌道(のち成田電気軌道、成田鉄道)は路面電車のような路線で、宗吾霊堂〜成田駅前〜成田山門前を結んでいました。本来は参道に敷設したかったそうですが、賛否両論あり迂回して建設。戦時中である1944(昭和19)年、遊覧的色彩の強いこと等を理由に不要不急線ということで廃止。現在は千葉交通として、バスを運営しています。


成宗電車第二トンネル跡 【土木遺産】

D51 609
京成成田駅近くの栗山近隣公園で保存されています。

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