松下村塾
御覧のとおり小さな松下村塾。幕末の思想家、吉田松陰が実家の杉家の敷地内に建ててもらったもので、野山獄に幽閉されるまで約1年ほど講義の場所として使いました。なお、吉田松陰は杉百合之助の次男として生まれ、叔父の吉田大助の養子となります。なかなか血気盛んな人物で、江戸で佐久間象山に師事して洋学などを学び、さらに浦賀に再来航していたペリーの艦隊に乗り込んでアメリカに行こうと計画。しかし、拒絶されて送還され、吉田松陰は自首して萩藩の野山獄に送られ、しばらくしてから実家の杉家に幽閉されることになりました。
そこで、叔父の玉木文之進が開いて自らも学んだ松下村塾の名を引き継ぎ、ここに開塾して多くの弟子を輩出しますが、今度は日米修好通商条約の締結に怒り、老中首座である間部詮勝の暗殺を計画。弟子たちが同調せず、吉田松陰は自首したところ再び投獄され、大老の井伊直弼によって江戸で死罪に処せられました。