日光街道 粕壁宿〜埼玉県春日部市〜


 日光街道及び奥州街道の宿場町であった粕壁宿は、江戸から約35.6km(9里2町)に位置し、南北約1.1km(10町25間)にわたる町並みを形成していました。現在も数多くの商家や土蔵が現存しており、見どころ満載です。
 ちなみに現在、自治体としての名前は春日部ですが、宿場町としては粕壁と表記。「かすかべ」は、南北朝時代に新田義貞の家臣春日部氏が当地を領有したことから生まれた名前ですが、特に戦国時代には「糟ヶ辺」「糟壁」といった様々な漢字が当てられました。「粕壁」は江戸時代初期に定着した表記と言われています。
(撮影&解説:裏辺金好)

○地図



○風景


脇本陣跡
中宿(仲町)の蓮沼屋庄兵衛が務めたのち、1830(天保元)年に当地で旅籠を営んでいた高砂屋竹内家に交代。1849(嘉永2)年から幕末までは本陣となりました。


日光街道

本陣跡
何度か本陣が移転した粕壁宿。複数ある本陣跡の1つで、1809(文化6)年から務めた小沢家の本陣。


本陣跡
複数ある本陣跡の1つで、1754(宝暦4)年まで務めた関根助右衛門家の本陣。


東屋田村本店

道しるべ
東屋田村本店前の道しるべは、1834(天保5)年のもの。日光、岩槻、江戸の3方面を記しています。


田村荒物店の蔵


よく見ると後ろは古建築。

問屋場跡

問屋場跡周辺


永嶋庄兵衛商店
明治初期の建築で、屋根上にある魔よけの鍾馗様の像が印象的。なお、慶長年間(1596〜1615年)から19代続く米穀問屋です。

浜島家住宅土蔵 【国登録有形文化財】
日光街道と寺町通の分岐点にある黒壁の土蔵。明治時代前期の建物で、戦前まで米穀商を営んでいた浜島家のもの。1階は座敷、2階は使用人の部屋として使用されました。


高札場跡

新町橋
かつては古利根川にかかる唯一の橋。長さ約29m、幅約5mの板橋でした。

上喜蔵河岸跡
新町橋付近に、かろうじて船着き場の名残である石積みが残っています。

おかやす
大谷石の蔵です。

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