港の風景
福山藩が1811(文化8)年に築造した階段状桟橋と、現存する日本一の高さを誇る常夜燈(1869=安政6年築)。
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港の風景
江戸時代からあまり姿を変えていない港の風景。
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「いろは丸」記念館
上写真から後ろを向けば、池田家の倉。「いろは丸」記念館として、「いろは丸」と坂本龍馬に関する展示。「いろは丸事件」は、坂本龍馬率いる海援隊の蒸気船「いろは丸」と、紀州藩の蒸気船「明光丸」が衝突し、「いろは丸」が沈没した事件。坂本龍馬は「紀州藩が悪い!」として、まずは鞆の浦で紀州藩側と徹底対決しました。
最後は、長崎に舞台を移して論戦が行われ、最終的に紀州藩側が賠償することになりましたが・・・どちらの航行に過失があったかについては、どうも坂本龍馬の方が分が悪いのでは?という研究もあります。
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「いろは丸」記念館内部
さて、鞆の浦で論戦が行われていた頃、坂本龍馬は紀州藩の暗殺の危険を避けるため、住居の屋根裏に潜んでいました。「いろは丸」記念館では、その部屋が再現されています。
なお、その舞台となった家は現存しています(後ほど写真を紹介します)。
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港の風景
なにやら面白い形状の建築も。
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街並み
写真とは関係ありませんが、あの盲目の天才音楽家・宮城道雄は鞆で名曲「春の海」を作曲しています。目は見えませんが、おそらくこの鞆の風を感じたのでしょう。
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大田家住宅
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大田家住宅周辺
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大河島(だいがしま)城跡(現、円福寺)
中世の城跡で、1342年、北朝方の足利軍と南朝方の桑原家が戦った際、桑原軍はここに立てこもり全滅しました。今も桑原家は鞆に住み、法要をしているとか。
戦国時代には村上水軍の一派の拠点となり、そして現在は円福寺が建っています。ちなみに、鞆城が出来る前までは、大河島という島でした。
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鞆城跡 (現・鞆歴史民俗資料館)
毛利元就が尼子家と対抗するために築城。織田信長に追われた室町幕府最後の将軍:足利義昭もここにいたことがあります。その後福島正則が改修しましたが、一国一城令で取り壊され、その後は町奉行がおかれました。
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鞆城跡からの風景
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街並み
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街並み
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街並み
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街並み
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街並み
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しなまみ信用金庫鞆支店
昭和初期ぐらいの建築でしょうか。
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街並み
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街並み
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街並み
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街並み
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街並み
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街並み
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街並み
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商家「桝屋」(坂本龍馬潜伏の家)
江戸後期築。1867年春の「いろは丸」事件の際、坂本龍馬が鞆の浦で滞在した家。前述の通り、龍馬は紀州藩の暗殺を恐れてここの隠し部屋にいたそうです。
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街並み
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福禅寺
真言宗の寺院で、朝鮮通信使が1711年に訪問した際、ここの客殿「対潮楼」から見た景色を日本一の風景(日東第一形勝)と絶賛。
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福禅寺からの風景
その風景がこちら。現在でも非常に美しい風景を見せてくれますが、当時はどんな感じだったんでしょうか。
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街並み
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街並み
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友光軒
昭和初期の建築で、ハヤシライスが名物の店「友光軒」。元々は床屋だったらしいです。
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山中鹿之助首塚
鞆の浦の見所はこのほか、沼名前神社には室町時代に作られた能舞台(国の重要文化財)などがあります。
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