美濃町伝統的建造物群保存地区(うだつの上がる町並み)〜岐阜県美濃市〜


 重要伝統的建造物群保存地区である、美濃市美濃町伝統的建造物群保存地区は、「うだつの上がる町並み」として有名な古い町並み。
 1605(慶長10)年に、飛騨高山藩主であった金森長近が、隠居先として小倉山城を築城したことに伴い整備された城下町を起源とし、防火壁としての「うだつ」を持つ家屋が多く造られているのが特徴です。近世から昭和にかけて美濃和紙の商家町として栄え、旧一番町通り・二番町通りを中心に目の字型に構成。現在の加治屋・本住・泉・魚屋・相生・常盤・俵の各町に広がっています。
 なお、「うだつ」は家の両端に屋根よりも一段高く設けた小屋根つきの防火壁で、裕福な者にしか上げられないことから、「うだつが上がらない」の語源とされています。
 近年は歴史的町並みとしての景観が整えらえたほか、「美濃和紙あかりアート展」や「ツアー・オ・ジャパン美濃ステージ」を開催。2014(平成26)年には最高級の美濃和紙である「本美濃紙」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。
(解説&撮影:裏辺金好)

○地図



○風景




町並みギャラリー山田家住宅
町医者だった山田家の住宅を活用し、「和紙ちぎり絵」などの展示をしています。








小坂家住宅 【国指定重要文化財】
安永(1772〜81年)初期の建築。造り酒屋で、母屋から後に続く酒蔵まで江戸時代の建築という貴重な建物。屋根全体が「起り(むくり)」となっていることや、うだつに鬼瓦が無いことが特徴です。






平田家住宅
この付近は明治時代初期に大火があり、その後に建てられたもの。2階を座敷にしているのが特徴です。



古川家住宅
明治時代初期の建築で、平田家住宅に隣接。元々は平野屋という呉服屋で、あえて隣地との間に空地を取り、うだつの隣に「うだつ」を造るという、江戸時代には見られない手法を採用。


鈴木公平家住宅


鈴木忍家住宅
18世紀中期の建築で、明治になって2階を大改造して現在の姿に。笹屋と呼ばれる江戸時代からの旧家です。




小坂家住宅(常盤町)
江戸時代中期築。元禄年間には金融業を営み、明治時代には県会議長を輩出した家柄。


浦島車山車蔵
天保13年に造られた山車を保管しています。

宝勝院庫裏 【美濃市指定文化財】
1876(明治9)年に有知学校の本館として建てられたもの。1902(明治35)年に小学校が移転する際、宝勝院が譲り受けて移築しました。


大石家住宅
1872(明治5)年築。豪華なうだつが特徴です。



旧今井家住宅・美濃史料館 【美濃市指定文化財】
江戸時代中期築。古い様式の「うだつ」を持ち、間口、奥行きともに15.8mという規模の大きな家。今井家は紙の原料商として繁栄し、江戸時代末期には庄屋、戦前には町の諸役を務めた家柄です。

西尾家住宅
屋根がトタン葺きなのが特徴で、これは江戸時代は板葺きであったことに由来。瓦葺の「うだつ」を持つ、板葺き屋根の家はこの家のみですが、元々はどこもこのような形であったと考えられています。


松久家住宅

松永久助紙店事務所
元々は江富屋という旅館で、現在は事務所と倉庫に改造されていますが、うだつは江戸時代後期の特色をよく残しています。

松久建三家住宅
左側のみ「うだつ」をあげた家で、その形は江戸時代の姿を残しています。

加藤家住宅

武藤家住宅
金森長近が、関の刀匠を招いた際にやってきた家で、非常に豪勢な建築です。


時代軒
江戸時代末期の建築。




↑ PAGE TOP