歓喜院(妻沼聖天山)・東武キハ2002・坂田医院旧診療所ほか〜埼玉県熊谷市〜


 埼玉県熊谷市の旧妻沼町にある歓喜院(通称は妻沼聖天山)は、高野山真言宗の仏教寺院。2012(平成24)年に国宝に指定された聖天堂(本殿)をはじめ、境内の建物の大半が国指定重要文化財や国登録有形文化財に指定され見応えがあります。
 寺伝によると、1179(治承3)年に長井庄(熊谷市妻沼)を本拠とした武将・齋藤実盛が長井庄の総鎮守として大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天宮を建立。1197(建久8)年に齋藤実盛の次男である実長(出家して良応僧都)が聖天宮の改修と別当坊歓喜院長楽寺を建立しました。
 室町時代から戦国時代にかけては、忍城主の成田氏の庇護を受け、1604(慶応9)年には徳川家康が伊奈忠次に聖天堂造営を命じるなど伽藍が維持されてきましたが、1670(寛文10)年に妻沼の大火で多くの建物を焼失。以後、再建が進められた建物の多くは現在も残り、壮麗な姿を今に伝えています。
 このページでは歓喜院のほか、東武熊谷線の保存車両キハ2002号、周辺の近代建築として坂田医院旧診療所、井田記念館も併せて紹介します。
(撮影:裏辺金好 ※特記を除く)

○地図



○風景





貴惣門 【国指定重要文化財】
1855(安政2)年頃築。三間一戸の八脚門で、三つ重なる破風が特徴的なほか、非常に緻密な彫刻は必見です。設計は岩国藩の長谷川重右衛門。錦帯橋の架け替えを担当した藩士で、利根川の大洪水に伴う妻沼の復興を岩国藩が幕府から命じられた際、復興中の歓喜院聖天堂を見て思い立ち設計図を描いたもの。聖天堂の工事を担当していた大工棟梁の林正清に図面を託し、それから100年後に林正清の子孫である林正道が完成させました。


中門 【熊谷市指定文化財】
聖天山最古の建造物。室町期の特徴を残しており、江戸時代の大火でも焼けずに残りました。


仁王門 【国登録有形文化財】
1894(明治27)年築。聖天堂の正面に建つ五間三戸の大規模な門で、左右に仁王像を安置しています。

水屋 【国登録有形文化財】
明治中期(1883〜97年頃)築。

閼伽井堂(あかいどう) 【国登録有形文化財】
江戸時代後期(1751〜1830年頃)築。

籠堂(こもりどう) 【国登録有形文化財】
1879(明治12)年築。1955(昭和30)年代後半増築。聖天堂の北東に位置する祈願者のための籠堂。木造二階建、寄棟造桟瓦葺で、2階に平書院、透彫欄間があります。

鐘楼 【国登録有形文化財】
1761(宝暦11)年築。大正期・昭和26年に改修され、石造とコンクリート造の二重の基壇上に建ち、非常に高いのが特徴です。


御本殿(聖天堂) 【国宝】
奥殿・中殿・拝殿よりなる権現造。林兵庫正清及び正信らによって建立されたもので、1744(延享元)年に奥殿と中殿の一部が完成し、1760(宝暦10)年までに中殿と拝殿が完成しました。上写真は拝殿。


御本殿 【国宝】
奥殿は多彩な彫刻技法が駆使し、色漆塗や金箔押などによる極彩色を施しているのが特徴。2003(平成15)年10月から約7年間の歳月をかけた「平成の大修理」が行われ、往時の輝きを取り戻しています。(撮影:リン)







御本殿 【国宝】

三宝荒神社 【国登録有形文化財】
1787(天明7)年築。聖天堂背面に建つ三社の1つで、北寄りに位置。一間社流造、素木造、銅板葺の小社。


五社大明神 【国登録有形文化財】
1783(天明3)年築。聖天堂背面に建つ三社の1つで、中央に位置。桁行五間、梁間二間、切妻造銅板葺。


天満社 【国登録有形文化財】
1785(天明5)年築。聖天堂背面に建つ三社の1つで、南側に位置。一間社流造、素木造、銅板葺の小社。


平和の塔 【国登録有形文化財】
1958(昭和23)年築。境内北方の小高い場所に建つ。戦没者の供養と世界恒久平和を祈願して建てられたもので、総欅造。

○東武熊谷線キハ2002(地図)




東武熊谷線キハ2002
熊谷市立妻沼展示館で保存されているディーゼルカー。東武熊谷線は熊谷〜妻沼10.1kmの路線で、1983(昭和58)年6月1日に廃止されました。







坂田医院旧診療所 【国登録有形文化財】
1931(昭和6)年築。鉄筋コンクリート造,陸屋根造平屋建の産科医院診療棟。正側面はスクラッチタイル張とし,軒部にタイル張技法による歯飾状の装飾帯を廻しています。


井田記念館
純植物性調髪油の「メヌマポマード」創始者、井田友平氏の徳行を称え、1952(昭和27)年に居宅を移築したもの。坂田医院旧診療所に隣接しています。

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