旧東海道 神奈川宿〜神奈川県横浜市神奈川区〜


 神奈川宿は品川、川崎に続く東海道3番目の宿場で、神奈川県と横浜市神奈川区の名前の由来となりました。神奈川町と青木町の二町からなり、海に面していたことから鎌倉時代に神奈川湊が整備され、1601(慶長6)年に宿場が置かれました。1858(安政5)年に日米修好通商条約が締結されると、神奈川を開港すると定められていましたが、実際には対岸の横浜村に港湾施設や居留地が造られています。
 このため、話が違うと各国の領事たちは神奈川宿にある寺に領事館を置き、宣教師も居住しますが、商人たちは横浜に居住。さらに尊王攘夷の嵐が吹き荒れる中、東海道沿いでは生麦事件など外国人を対象にした殺傷事件も発生。幕府もたびたび横浜への移転を促し、1863(文久3)年までには外国人たちは横浜へ移りました。
(撮影:裏辺金好)

○地図



○風景


歌川広重『東海道五十三次』。トップ写真に概ね対応する構図で、神奈川宿の中でも現在の神奈川区台町を見た光景です。この付近は坂になっており、海を見下ろす景勝地になっていました。この海になっている部分は、現在の横浜駅西口周辺です。



横浜市歴史博物館で展示されている神奈川宿の復元模型。


京急の神奈川駅前に設置された案内図


浄瀧寺
日蓮宗の寺院で、開港時にはイギリス領事館として使われました。


成仏寺
鎌倉時代に創建された浄土宗の寺院で、江戸幕府3代将軍徳川家光の時に神奈川御殿造営のために現在地へ移転。開港時にはアメリカ人宣教師の宿舎となり、ヘボン式ローマ字を考案し、日本最初の和英辞書を完成させた宣教師ジェームス・カーティス・ヘボンが本堂に滞在していました。


高札場
現在の神奈川警察署の西側にあったもので、神奈川地区センター前に復元されたもの。



熊野神社
古くは権現山にあり、江戸時代に金蔵院の境内に移転。さらに、明治初めの神仏分離令によって金蔵院から分かれました。狛犬は嘉永年間に鶴見村の石工、飯島吉六が造ったもの。



洲崎大神
1191(建久2)年に源頼朝が安房神社を勧進して創建もので、江戸時代は参道の先が海になっており、船着場が設置。開港時には横浜と神奈川宿を結ぶ渡船場として使われました。


甚行寺
開港時にフランス公使館として使用。


本覚寺
曹洞宗の寺院で、開港時にはアメリカ領事館が設置。これに伴い山門は日本で初めてペンキで白く塗装され、山門そのものは今も現存しています。なお、写真手前はJR東海道線や京浜急行の線路で、敷設に伴い寺の東側が削られました。


大綱金刀比羅神社(おおつなことひらじんじゃ)
平安時代末期からの歴史を持ち、神奈川湊を利用する船乗りたちから深く崇められていました。また、江戸時代には神社前の街道両脇に一里塚が置かれていました。



東横フラワー緑道
東海道とは関係ありませんが、この辺りは東急東横線が通っており、地下化により生じた東白楽駅〜横浜駅間の線路跡が緑道として整備されています。


料亭田中家
1863(文久3)年
創業の料亭で、坂本龍馬の没後に、妻の楢崎龍が勝海舟の紹介で仲居として働いていました。




神奈川宿の茶屋「さくらや」(桜屋)
田中家の前に建っていたのが「さくらや」。安藤広重の「東海道五十三次」など様々な浮世絵に描かれ、幕末には高杉晋作や日米修好通商条約を締結したことで知られる、アメリカのハリスも使用したとか。景勝地だった神奈川宿は、旅人たちが休憩する茶屋が多くありました。写真は横浜市歴史博物館で展示されている復元模型。

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