東慶寺〜神奈川県鎌倉市〜


 東慶寺は臨済宗円覚寺派の寺院で、正式には松岡山 東慶総持禅寺と称します。開基は鎌倉幕府第9代執権の北条貞時、開山は貞時の母親で北条時宗の妻、覚山尼と伝えられます。
 夫から離縁状を貰わない限り、妻からは離婚できなかった時代に駆け込めば離縁できるという女人救済の縁切寺として知られ、明治に至るまで約600年間、縁切りの寺法を引き継いできました。江戸時代には幕府寺社奉行も離婚を承認しており、こうした縁切寺は東慶寺と満徳寺(廃寺/群馬県)の2つしかありませんでした。
 また、南北朝時代に後醍醐天皇の皇女である用堂尼が五世住持となると、「松岡御所」と称されたほか、鎌倉尼五山の第二位という格式の高い寺でもありました。
 江戸時代初めには、豊臣秀頼の息女が千姫の養女として命を助けられ、東慶寺に入寺。のちに二十世天秀尼となっています。
 1871(明治4)、廃仏毀釈の影響により縁切りの寺法は廃止となり、1902(明治35)年に尼寺の歴史も幕を閉じました。1905(明治38)年に建長寺・円覚寺両派管長 釈宗演禅師が入寺し、荒廃した当寺を復興しています。
 上写真は本堂。1935(昭和10)年に建築されたもので、枝垂桜との組み合わせが格別です。このほか、東慶寺は梅やアジサイの名所としても知られます。
(撮影:裏辺金好)

〇地図



○風景


山門
かつては鎌倉街道沿いに総門もかまえていました。


鐘楼
1916(大正5)年築。釈宗演老師の居士である神津猛氏が、持ち山の材木を寄進したもの。梵鐘は1350(観応元)年に鋳造されたもので、神奈川県指定文化財。元々は鎌倉市材木座の補陀落寺のものを、いつの頃から東慶寺に移したそうです。


書院
1925(大正14)年築。元々は江戸幕府第3代将軍の徳川家光の弟、徳川忠長の屋敷から移築された建物がありましたが関東大震災で倒壊。古材も用いて復興したものです。


松岡宝蔵
東慶寺伝来の寺宝を展示する宝物館。


白蓮舎
1996(平成8)年築の立礼茶室。


移築された東慶寺仏殿 【国指定重要文化財】
三渓園(横浜市)には江戸時代の初めに建築された東慶寺仏殿が移築されています。これは、明治以降に衰退した東慶寺では建物の維持が困難となり、これを憂えた実業家の原三溪が1907(明治40)年に取得して移築したものです。

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