北海道西海岸のほぼ中央に位置し、海・山・坂など変化に富んだ人口約14万7000人の港湾都市。アイヌ語でオタルナイというのが語源。1869(明治2)年、明治政府は開拓使を置き「蝦夷」を改め「北海道」と称すると同時に、この地を「小樽」と改めた。「北のウォール街」と呼ばれた道内一の銀行街など、数多くの近代建築が残り、観光名所となっている。
今回は、2004年1月1日〜1月3日にかけて私と、某後輩と共に実行した、東北・北海道旅行について掲載していきます。第2回目は、1月2日に訪問した北海道小樽市について御紹介していきます。
さて、朝6時の札幌。急行「はまなす」から下車した後、そのまま函館本線の普通列車に乗り換えます。ディーゼルカー(キハ150)の2両編成でした。なかなか綺麗な車内で、乗り心地も良いです。
そして約50分ほどで小樽に到着。
小樽駅は早速、昭和9年建築の近代建築。どことなく、上野駅を小型にした感じがあります。駅前には真っ直ぐ伸びる大通りがあり、ここを真っ直ぐ行くと有名な「小樽運河」でます。特にどこへ行こうと決めてきたわけではありませんので、取り敢えず真っ直ぐ行くことにします。
朝7時ですが、とにかく暗い。そして、人が殆どおらず、まだ車も少ないので、道は雪でビッシリでした。いや、北海道の人には「このぐらいの積雪は、まだ少ない」と言われると思いますがね。
そして、真っ直ぐ歩いていると、雪に埋もれた線路が見えます。小樽市を東西に走る線路で、「
手宮線」と言います。明治13年に小樽・手宮〜札幌を結ぶ北海道で最初、国内で33番目の鉄道として開通した路線です。その後、産業エネルギーが石炭から石油に移り変わり、また、物流システムの変化もあり、昭和60年にはその役割を終え営業を廃止しました。
その後、放置されたままになりましたが、つい最近、取り敢えず一部区間を小樽市が買収。6年ぐらい前に私が修学旅行で行った時には、雑草やコケで覆われていましたが、今ではすっかり、「今にも列車が走ってきそうな」光景に代わったそうです。
ですが、この雪じゃ整備後の状況が解らないですな。詳しくは、小樽市のHPのなかにある、
http://www.city.otaru.hokkaido.jp/oshira/temiyasen/temiyasen.htmをご覧下さい。廃線跡の整備として、これはなかなか面白い取り組みです。なお、この手宮線の終点「手宮駅」があった場所には、現在小樽交通記念館があります。冬の間は休むみたいなので(今年の場合、昨年11月から4月中旬まで休みます)、訪問する方は要注意。
なお、小樽交通記念館は、1962年、日本の鉄道開通90周年を記念して造られた北海道鉄道記念館が発祥で、1996年、運営主体がJR北海道(旧・国鉄)から小樽市に移って、リニューアルオープンした物です。問題は、海岸近くにあるため、屋外展示の車両の腐食が激しいこと。それでも再塗装を繰り返しているようで、大変だと思います。
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