日本の旅 第74回
日暮里・千住を歩く〜東京都荒川区・足立区〜
     A trip of Japan No.74 Nippori & Senjyu
○今回の旅の概要
 開発に次ぐ開発で、東京はすっかり無機質な都市になってしまったが、それでも探せば歴史を感じる文化財もあるし、史跡は大変多い。今回は、そんな文化財の数々を御紹介する。主に、古〜い寺や同潤会のアパート、昭和初期の銭湯などの近代建築など。

8.南千住駅

このタイプの顔は、東京周辺では既に東北本線(宇都宮線)・高崎線から姿を消し、東海道本線からも撤退目前。常磐線と中央線の立川以西が最後の砦となりそうだが・・・。
 さて、JR常磐線で日暮里、三河島と続きまして南千住駅で下車です。南千住駅は、新路線「つくばエクスプレス」関連工事でJRの駅も改築中で、私が乗った土浦・水戸方面の電車は新ホームに停まりました。

 ちなみに写真の電車は415系という国鉄時代から使われている物(他に、403系というのも少数ありますが見分けは殆どつきません)。常磐線では長らくお馴染みの電車ですが、もうじき新型車へ置き換わり始めます。記録するならば今のうち。そして、このホームとの組み合わせもそんなに長くはないことになりますね。さて、史跡巡りを再開しましょう。
 
9.幕末の志士が眠る回向院
 さて、南千住駅からほんの少し歩きますと、一見したところ、ただのコンクリートの建物があります。
 それが、回向院。
 幕末の安政の大獄や桜田門外の変・坂下門事件などで処刑された人たちが眠っている場所です。例えば、橋本左内。それから、吉田松陰(のち太夫山(世田谷区若林の松蔭神社)に改葬)などですね。それから、鼠小僧の墓などもあります。

回向院
古いお寺を想像していくと迷いますので、ご注意あれ。

橋本左内の墓
回向院入り口脇にあります。

吉田松陰の墓
前述のように改葬されているため、現在は祈念碑的存在。

鼠小僧などの墓
左から順番に、鼠小僧、直侍、高橋お伝、腕の清三郎の墓。鼠小僧以外はよく解りませんが、腕の清三郎の墓の形は必見ですね。腕というか、拳じゃないか!

10.解体新書発祥の地・小塚原刑場跡

デーンと構えています。存在感タップリ。
 さて、江戸時代に罪人を処刑する場所(お仕置き場)というのが品川の鈴ヶ森と千住の小塚原(こづかっぱら)の2ヵ所にありました(江戸の両御仕置場)。

 当然、ここで御紹介するのは千住の方です。明治のはじめに刑場が廃止されるまでに斬罪・磔(はりつけ)・獄門などの刑が執行され、何と20万人あまりが処刑されたとか。ブルブル・・・。

 で、ここで杉田玄白前野良沢達は人体の解剖を見ます。そして「今まで読んだ本とは全然違っているではないか!」と奮起し、蘭学書である「ターヘル・アナトミア」の翻訳を四苦八苦しながら行い、「解体新書」を完成させるのです。

 現在は延命寺となっており、境内にある首切り地蔵は刑死者の菩提を弔うために、1741(寛保元)年に建立されたもの。ちなみに、刑死者を埋葬し、霊を弔うためにあるのが、先ほど御紹介した回向院。常磐線のガードをはさんで向かい側にあります。延命寺の場所は南千住2−34−5

 ちなみに回向院には、解体新書発祥の地である記念レリーフがありますけどね。 別にその程度で、延命寺もコンクリート製の近代的な建物で、両方ともあんまり歴史が感じられないのが残念です。でも、処刑場の再現も怖いですし・・・(笑)。微妙なところです。
 
11.円通寺の黒門(元・寛永寺の黒門)
 続きまして、あの坂上田村麻呂が創建し、源義家が再興したと言われる由緒ありまくりの円通寺へ徒歩で行きます。
 こちらは、戊辰戦争において、寛永寺など上野の山に立てこもって官軍に敗北した彰義隊の人々が眠る場所です。彰義隊の戦死者達は「賊軍」として扱われたため、戦死したあと遺体が放置されていたのですが、このお寺の和尚さんが死を覚悟で供養したとか。

 おかげで政府に拘束されましたが、幸いにも許され、上野寛永寺御用商人の三河屋幸三郎の助力で、彰義隊の戦死者達を火葬し、ここに埋葬。これが縁となって1907(明治40)年、寛永寺の黒門(荒川区指定有形文化財)は円通寺に移されることになったということです。

元・寛永寺の黒門
今でも黒々としており、格好良いです。

元・寛永寺の黒門
かなりの数の弾痕が残っており、当時の戦闘の激しさを物語っています。

円通寺
・・・・・・・。
 

12.都電の終点・三ノ輪橋駅付近

 さて、円通寺から日光街道沿いに真っ直ぐ歩いたところ、都電荒川線の終点である三ノ輪橋駅(停留所)があります。
 ちょっと覗いてみましょう。

三ノ輪王電ビルデイング(現・梅沢写真会館)
ここの1階をくぐると、都電三ノ輪橋駅と商店街へいけるという面白いビル。それもそのはず、これは元々、都電荒川線の前身である王子電気軌道のターミナルビルだったのですね。1927(昭和2)年1月の竣工なり。

都電荒川線@三ノ輪橋
唯一残った都電。ここから王子、池袋付近を経由して早稲田まで行くのですから、唯一とはいえ、相当な距離です。しかし、いつまでも「昔懐かしの」では勿体ない、ヨーロッパ並みに路線の延長やスピードアップにも期待したいところ。

商店街
いい感じです。商店街の雰囲気って良いと思いません?

13.同潤会三ノ輪アパート

 三ノ輪橋駅からさらに歩き、JR常磐線の高架もくぐって、散々迷った末にたどり着きましたるは、同潤会の三ノ輪アパートメント(1928(昭和3)年築、所在地・東日暮里2丁目)です。

 同潤会については何度か取り上げましたが紹介しておくと、関東大震災後の災復興計画に関連して、鉄筋コンクリートを使用した地震や防災に強い集合住宅を造った組織です。造るにあたっては色々と理想も入れていったのが特徴ですが、ともあれ、その強固さは今も残っていることで証明。

 しかし、特に2000年代に入って各地の同潤会アパートの解体が進み、残すは、ここと上野だけ。特に三ノ輪は、流石に老朽化著しく、非常に近い将来に解体されることが予想されます。なお、東京大空襲も経験したそうで、それもあって余計に無惨な状態なのかもしれません。

 ところで、近くでタイヤ工場を発見!
 写真に映っているだけでなく、もう膨大な量のタイヤが積まれていて圧巻!

 そして、懐かしい政党名を発見。
 懐かしいと言っても、解党してからまだそんなには経っていないですが、「保守党」の名前が・・・。

 さあ、最後に北千住に行きましょう。