東京都台東区(2)〜寛永寺・上野公園と近代建築〜
  Kaneiji (temple) and Ueno Park in Taito City , Tokyo
 東京の街をちょっと歩いてみる企画。今回は寛永寺、上野公園と周辺の近代建築全体、さらに上野動物園などを特集します。江戸時代からの建物が残る仏閣神社。数多くの古い美術館・博物館など、素晴らしい建築と風景があるものです。別ページで紹介している上野東照宮や、岩崎邸庭園と合わせてぜひ訪問してみてください。
JR上野駅

現在の上野駅。非常に美しく整備されている。

明治18年7月に新築されたときの上野駅(レンガ造り)。背後が上野の山で、駅舎の場所は上写真とほぼ同じ。
(明治・大正・昭和東京写真大集成 新潮社より)
 まずは、JR上野駅からスタートです。
 かつては多くの人がこの上野駅に上京してきたり、また故郷に帰っていく・・・、そんな長距離列車の北の玄関口でした。とは言え、新幹線開業後は役割が大幅に低下。それでも、今はまだ東北本線・高崎線・常磐線が上野駅を起点としていますので、通勤列車とはいえ、首都圏の主要ターミナルとしての地位を保っています。

 建物は1932(昭和7)年築(公園口を除く)。
 関東大震災後の復興建築であり、大きな吹き抜けを始めとし、当時は最新式のターミナルとして大きな注目が。その後、段々と老朽化が進み、改築も検討されましたが、幸いにも現状の建物を保存。

 近年の改修・補修によって外壁も美しくなり、さらに駅の中も明るくなり、アトレとして様々な店も入居し、便利で、古くて新しい駅として私たちにその姿を見せてくれています。そして、この成功を元にJR東日本は駅構内に様々な店を入居させるようになりました。そんな、記念すべき駅でもあります。

○寛永寺
 東京からは江戸時代の建物は殆ど姿を消していますが、ここには奇跡的に多数の建築が残されています。

 寛永寺は1625(寛永2)年、天海僧正が徳川家の菩提寺として造営したことに始まります。
 そして、「寛永時代」に造ったから「寛永寺」と名付けられました(同種の名前に、延暦寺ってのがありますね)。元々は上野公園一帯を占める実に広大な面積を誇る寺でしたが、1868(慶応4)年に官軍と旧幕府軍「彰義隊」との上野戦争で、彰義隊が寛永寺を屯所して激戦。おかげで、一部を除き焼け野原となってしまい、さらにお寺の敷地の大部分は政府に持って行かれてしまい、上野公園は現在のような美術館・博物館エリアとなっているわけです。現在の寛永寺は、東京国立博物館の裏側などに位置しています。

 ちなみに寛永寺の敷地は、藤堂高虎が寄進したもの。言い方は悪いかも知れませんが、藤堂高虎は戦国武将の中でも特に主人を変えた人物で、幕府にせっせと恩を売ったわけですね。なお藤堂家(津藩)は、幕末には途中で官軍側につき、幕府軍を側面から攻撃して相当な批判を喰らいました。

巖有院(徳川家綱)霊廟勅額門・水盤舎
【重要文化財】
1679(延宝9)年築。4代将軍徳川家綱霊廟への門。ただし、霊廟は戦災で消失しています。

徳川綱吉霊廟勅額門 【重要文化財】
1709(宝永6)年築。
ご覧のように紅葉の時期は非常に綺麗です。造営奉行は柳沢吉保、材料調達は紀伊国屋文左衛門。

寛永寺寺務所
たしかここには、「葵の間」というのがあります。これは幕末に15代将軍徳川慶喜が謹慎していたところ。ちょくちょく公開していますが、抽選なので見られる確率は非常に低いです。台東区のHPを参照してください。

寛永寺根本中堂
1638(寛永15)年築。上野戦争で焼け野原になってしまったため、1879(明治12)年天海僧正ゆかりの地である埼玉県川越市の喜多院の本地堂を移築したもの。

寛永寺清水観音堂 【重要文化財】
1631(寛永8)年築。名前の通り、京都の清水寺と縁があり、そこに安置されていた千手観音を天海僧正に献じたことで造られた物です。場所は今の寛永寺とはかなり離れ、むしろ西郷さんの銅像の近くにあります。

旧・寛永寺五重塔 【重要文化財】
1645(寛永16)年築。幕府の実力者・土井利勝が1639(寛永8)年に建築して寄進しましたが、寛永16年に花見客の失火により消失するという事態に見舞われ、その年のうちに再建した物です。元々は上野東照宮の五重塔でしたが明治の神仏分離によって寛永寺の帰属となり、戦後は東京都が管理。現在、上野動物園の中にあって、これを見るためには写真のように上野東照宮から木に邪魔されて不満足に見上げるか、入園料を払って動物園に入る必要があります。