日本の旅 第88回
山居倉庫と本間邸〜山形県酒田市〜
     A trip of Japan No.89.Sakata City
○酒田市の概要
 山形県北西部の港湾都市で、平安時代には出羽国の国府が置かれた。日本海に面し、江戸時代には市の中央を流れる最上川との水運で栄えた。米の集散地としても発展し、「西の堺、東の酒田」といわれる繁栄をみせたほど。昭和初期にも引き続き港湾都市として発展し続けたが、残念ながら1976年の大火で古い街並みの多くが失われてしまった。面積は175.84km2、人口は10万人弱。


○ようこそ酒田へ!
 今回は、久しぶりに東北地域。
 樺太南半分さんに山形県の酒田市の旅を紹介して頂きます(所長による加筆も色々と入ります)。1672年、河村瑞賢が西廻り航路を整備してから一気に栄えた場所で、今も昔ながらの風景が残る素晴らしい場所。

 さて早速一枚目ですが酒田を回る時に重要な自転車です。自転車は駅の案内所に頼めば無料で貸してくれます。自転車はあまり古くなく、乗り心地も良いものです。なお、今回御紹介する以外に日吉町の街並み・料亭街、船場町の町並みは一見の価値があります。

 また、最上川河口の河川公園内にあるスワンパークは、日本有数のハクチョウ飛来地として有名です。

山居倉庫
 1893年築。
 酒田米穀取引所の付属倉庫として、舟の積み降ろしに便利な日本三急流の最上川と新井田川という川に挟まれた通称山居島(さんきょじま)建てられた倉庫で、ケヤキの並木と並列して建てられているのが特徴。これは、並木が風よけや日よけの役割をし、低温で保存することができるからだとか。ちなみ
に現在もJAの倉庫として現役活躍中の他、酒田市観光物産館 酒田夢の倶楽( くら )としても活用されています。

山居倉庫
 左写真は観光ガイドでも良く登場する風景ですが、その裏側はこんな感じ。そもそも、こちらが入り口になっていて中の様子が少しのぞけます。

山居倉庫にて
 米を新井田川に降ろす装置?or舟です。昔、米俵を移動させる時、300kgを担いだ女性の方もいたとか・・・。

さかた海鮮市場
 一階は海鮮市場で魚や貝などが売っていて、二階は食堂にになっていて海鮮丼や刺身定食等新鮮な料理が食べられます。ほとんどの料理が1000円とちょっとで食べることができます。この建物の隣に船の乗り場があり、近くにある飛島への船が出ています。詳しくはこちら

本間家旧本邸
 本間家が、何と人々の冬季失業救済事業として建てた別荘。写真の右側から上のほうにかけてある松は約樹齢400年の赤松で、本間家ではこの松を門下ぶりの松とも呼んでいたらしいです。

本間家庭園
 奥に見えるのは本間美術館の新館で1968年に完成した建物です。展示してあるものは定期的に変わります。なお、本間家は江戸時代中期(元禄時代ごろ)から第2次世界大戦頃まで、「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」とさえ言われた、日本一の大地主と呼ばれた家で、その中興の祖、三代・本間光丘は前述のように人々の失業対策や、数々の文化事業を行い地域の発展に大きく貢献しました。

本間美術館本館 清遠閣
 本間美術館本館清遠閣(せいえんかく)の写真です。この本館には昭和天皇がお泊りになった部屋があります。また、右上の写真のように庭園が眺められる喫茶室もあります。

本間家旧本邸 長屋門
 ほとんどの場合はこの門から旧本間邸に入ると思います。ちなみに自転車は道を挟んで反対側のところに停めることができます。