大和ミュージアム・てつのくじら館〜広島県呉市〜
  Yamato Museum and JMSDF Kure Museum in Kure City, Hiroshima Prefecture
 呉市は瀬戸内海に面した広島県西南部の港湾都市。1889(明治22)年に海軍呉鎮守府が開庁したことをから海軍と造船の町として発展。1902(明治35)年に市制施行し、さらに第2次世界大戦中には呉海軍工廠で戦艦「大和」をはじめとする数多くの艦船が製造されました。

 観光都市としてはあまり注目されていなかったのですが、最近になって”海軍”の町として次々と施設がオープン、もしくは保存活用されるようになり、いまや広島県内でも有数の人気観光スポットへと変化しました。今回は、2005年4月にオープンした、10分の1戦艦「大和」模型が特徴の、呉市海事歴史科学館〜大和ミュージアム〜、それから2007(平成19)年4月にオープンした、日本で初めて実物の巨大潜水艦を陸上展示する「海上自衛隊呉史料館〜てつのくじら館〜」をご紹介します。

 ちなみにJR呉駅まで、JR広島駅から呉線で約40分と至近距離にあり、さらに観光名所も駅周辺が多いので、広島や宮島とセットで観光するのもお勧めです。
(撮影・解説:裏辺金好)


○場所

○大和ミュージアム

戦艦「大和」 10分の1模型
 大和ミュージアム必見の巨大展示物。
 日本の持てる技術を最大限投入されて建造された戦艦「大和」は、1940(昭和15)年に進水。連合艦隊旗艦としての任務に就きました(昭和18年2月10日まで)。1942(昭和17)年6月4〜6日のミッドウェー海戦支援、1944(昭和19)年6月19〜20日にはマリアナ沖海戦、同年10月24〜26日にはレイテ沖海戦に出撃し、1945(昭和20)年3月19日には、山口県岩国市沖の柱島水域にてアメリカ海軍空母機と交戦。そして、1945(昭和20)年4月6日、山口県の徳山(現・周南市)を出航した「大和」は翌 7日、九州南西沖でアメリカ海軍空母機の多数の攻撃に遭い撃沈しました。最終時の乗組員は3332人で、生存者は僅か276人。


戦艦「大和」 10分の1模型
 こうして悲劇的な最後を迎えた戦艦「大和」でしたが、これを造るにあたって開発・投入されたブロック工法・先行艤装や生産管理システム、製鋼技術などの多数の技術は造船のみならず新幹線や高層ビル建築など、日本全体に計り知れない影響を与えました。なお、この模型は全長約26m!! ということで、本物だと263mもあります。でかっ!


戦艦「大和」 10分の1模型


戦艦「大和」 10分の1模型


戦艦「金剛」に搭載されたヤーロー式ボイラー 【近代化産業遺産】

 1913(大正2)年にイギリスのヴィッカース社で竣工した戦艦「金剛」。こちら、戦艦「金剛」に36基搭載された石油と石炭の混合燃焼のボイラーで、イギリスのヤーロー社が開発した、当時メジャーなボイラー。1928(昭和3)年から1931(昭和6)年の「金剛」近代化改修の際に撤去され、戦前は海軍技術研究所(東京)、戦後は科学技術庁(当時)の金属材料研究所の建物の暖房用ボイラーとして1993(平成5)年まで使われていました。



大和沈没現場の状況模型
九州南西沖の水深約350mに沈んでおり、主砲火薬庫の爆発によって、船体は2つに折れています。


大和から引き揚げられた品々

大和から引き揚げられた品々

戦前の呉の様子(模型)


マツダ号GB型三輪トラック


零式艦上戦闘機六二型
 いわゆる、ゼロ戦、レイ戦。1940(昭和15)年に海軍の制式機として採用された機動性、装備、航続距離に於いて、当時の世界トップクラスの戦闘機で、様々なバリエーションが存在します。
 しかしながら、パイロットを次々と戦死させてしまったことから、熟練パイロット不足に悩まされます。そのため、1944(昭和19)年10月から神風特別攻撃隊が編成され、多くの人の命が失われました。「突っ込むだけなら出来る」と言うことだったのでしょうが、あまりにも人命を軽視した無謀な作戦でした。
 本機は、明治基地(現 愛知県安城市)第210海軍攻撃隊の所属機で、吾妻常雄 海軍中尉(中尉)が操縦中、エンジントラブルで琵琶湖に不時着水させ、沈んでいたもの。1978(昭和53)年に引き上げられたものです。


特攻兵器「回天」十型 試作型
 人間が乗り込み、操縦しながら敵艦艇に向けて特攻をかけるための魚雷。何タイプかありますが、実戦投入されたのは九三式魚雷を用いた「一型」。420基が製造され、20歳前後の若者を中心に、搭乗員だけでも100人以上が亡くなりました。


九三式魚雷(手前) 九五式二型魚雷
 九三式魚雷は、長射程の酸素魚雷。燃料酸化剤に純粋な酸素を使うことで射程距離不足を改善。
九五式は、ご覧のように、その小型版です。


特殊潜行挺「海竜」 後期量産型
 水中を飛行機のように自由に航行・浮上することを目的とした世界初の有翼潜水艇。呉海軍工廠などで開発された画期的な技術でしたが、戦争時には先端に炸薬を積んで、特攻へ使われるという悲劇的な兵器へと化してしまいました。
 なお、本展示物は1945(昭和20)年に静岡県の網代湾でアメリカ海軍機のロケット弾の直撃を受けて沈んでいたものです。全長17.28m、乗員は2名。


戦艦「陸奥」 主砲
 戦艦「陸奥」は、1920(大正9)年6月1日に進水した戦艦「長門」型2番艦。横須賀海軍工廠で建造されましたが、主砲身など主要な部材は、ここ呉で建造され運搬されました。


潜水調査船「しんかい」
 1968(昭和43)年竣工。戦後初の本格的潜水調査船として川崎重工業神戸工場で製造。
1975(昭和51)年まで伊豆半島沖などで水深600mまでを調査していました。


水中翼船「金星」
 1966(昭和41)年、日立造船神奈川工場で竣工。広島〜呉〜広島を結ぶ海上航路に投入され、速力は35ノット(時速64.8kmという性能で、従来のフェリー所要時間であった2時間40分から1時間10分に短縮。1999(平成11)年に退役し、ここに保存されています。

テクノスーパーライナー実験船
 1989(平成)元年度に研究・開発が始まったもので荒れた海でも安全に航行できることを目標とした超高速貨物船です。速力50ノット(時速93km)、貨物積載量1000トン、500海里(約930km)以上の航続距離を持ちます。
 2013(平成25)年9月に訪問した際には、展示されていませんでした。この場所には、新たに「シーサイドカフェ ビーコン」がオープンしており、この船はどこへ・・・?

○てつのくじら館
 さて、大和ミュージアムオープンから2年後、向かい側に海上自衛隊が「てつのくじら館」という、広報施設をオープンさせました。大和10分の1模型だけでも、ものすごいインパクトだったのですが、こちらは潜水艦「あきしお」実物を展示し、さらに中に入ることが出来ます。日本の海の平和を守るため、海上自衛隊の方々が潜水艦などで、どういう生活をしているのかということを知る、非常に重要な施設です。


潜水艦「あきしお」
 1985(昭和60)年に進水した、「ゆうしお」型潜水艦。三菱重工業神戸造船所で製造され、第1潜水隊群第1潜水隊に所属。1990(平成2)年6月に第5潜水隊に所属替えし、2004(平成16)年に除籍。長さは76.2m、幅は9.9m、そして深さは10.2m。ここへの壮大な陸揚げ作業は、多くの注目を集めました。

潜水艦「あきしお」内部

潜水艦「あきしお」内部

潜水艦「あきしお」内部

潜水艦「あきしお」内部

潜水艦「あきしお」内部

潜水艦「あきしお」内部


機雷に関する展示
資料館は大半が海上自衛隊による機雷の掃海任務についての展示で、
海の安全を守るための努力と装備の数々、また機雷そのものについても学ぶことが出来ます。