日本の旅 第97回
織田家の城下町・小幡〜群馬県甘楽郡甘楽町〜
     A trip of Japan No.97 Obata Area , Kanra Town
○甘楽郡甘楽町小幡の概要
 鎌倉時代から戦国時代にかけて、豪族・小幡氏の根拠地として栄える。1615(元和2)年に織田信長の次男、織田信雄が上州小幡2万石及び大和国宇陀郡3万石が与えられ、8代152年にわたり織田家が支配した後、松平氏が入封し明治維新を迎える。そして、1959(昭和34)年に小幡町・福島町(一部富岡市に合併)・新屋村が合併し、現在の甘楽町が誕生した。 *甘楽=かんら

○今回は、上信電鉄全線乗車と甘楽町、富岡市へ
 日本の旅第97回/98回は、ムスタファ所員、デューク所員と共に群馬県の上信電鉄に乗って旅に出かけます。目的地は、上州福島駅から南に約3〜4kmの場所にある、甘楽町の小幡地区。江戸時代は、主に織田宗家が支配した場所で、僅かながら古い街並みが残っています。なお、おまけとして官営富岡製糸場で名高い富岡市や、上信電鉄の終点、下仁田も少し紹介します。

○高崎駅から出発
 上信電鉄高崎駅は、JR高崎駅に隣接。2両編成の電車がワンマン運転を行っています。


デハ250形
 裏辺所長御一行様が上州福島まで乗車した電車。1981(昭和56)年に登場した車両です。

高崎駅構内
 上信電鉄の車両たちが待機する高崎駅構内。左の車両は、最近やってきた西武鉄道の新101系改造車(上信電鉄500形)。右は左写真と同じ車両。

馬庭駅にて
 ローカルな雰囲気が漂う上信電鉄。

上州福島駅にて
 最初の目的地の最寄り駅に到着。古い貨車が眠っていますが・・・まさか、現役ではないでしょうね?(笑)

上州福島駅
 かなり昔から建っていると思われる上州福島駅。ここでは無料で自転車を貸し出しており、上り坂が少しきついですが、ひたすら3〜4kmほど自転車をこいで、小幡地区へ向かいます。

上州福島駅変電所
 古そうだなあ・・・と思っていたら、1924年の建築。

○小幡陣屋とその周辺
 上州福島駅より自転車で行くと、上り坂なので少々きついですが良い運動に。
 小幡地区は、それほど古い街並みが残っているわけでもないですが、養蚕農家の家々など、当時の面影を残す建築は幾つかあり、また雄川堰を中心とした非常に美しい景観を形成しています。
 なお小幡藩とかかわりが非常に深い織田家は、1767(明和4)年に出羽高畠(現・山形県高畠町)に移封され、さらに出羽天童藩(現・山形県天童市)へ移封。ここで明治維新を迎えています。


雄川堰
 甘楽町を南北に流れる雄川堰は、日本の名水100選にも選ばれた生活用水路。古くから人々がこれを利用してきました。小幡地区に入ると、まずこの雄川堰と古い街並みが見えてきます。桜の季節には絶景。

旧 甘楽社小幡組煉瓦倉庫
(現・甘楽町歴史民俗資料館)
 1926年築のレンガ倉庫。製糸工場を運営した甘楽社小幡組の建物で、戦時下に工場が閉鎖されるまで利用。この地区の養蚕産業を代表する建築です。

小幡陣屋跡周辺
 江戸時代に小幡を統治した小幡陣屋(幕末期には小幡城と改称)は、明治維新後に建物や土地が払い下げられ、現在は何も残っていませんが武家屋敷(写真右は高橋家)とその石垣や、道路は当時のままです。

小幡陣屋跡周辺
 左写真とは反対方向から。陣屋は無くなりましたが、現在は往時の雰囲気を味わえるように塀が再現されています。
 なお、整備中のため紹介できませんが、楽山園と呼ばれる庭園が小幡陣屋の関連施設として挙げられます。今は発掘中で、これに併せて御殿なども復元されるとか。ただし、平成24年ごろの整備終了予定。まだまだ先は長い・・・。

喰い違い郭
 旧陣屋の中小路に面して造られたもの。戦争の際に防衛の役割を担ったとか、下級武士が上級武士に出会わないよう、隠れる場所だったとも言われています。

小幡八幡宮
 小幡藩織田家三代藩主、織田信昌が創建した神社。建物はそこそこ古そうには見えますが詳細不明。なお、公式HPは http://obatahatiman.com/index.html

松井家住宅
 江戸時代に名主を務めた松井家の屋敷。江戸時代中期の建物で、この地方の代表的な造りをしています。現在も甘楽町を歩くと、こういった雰囲気の建物が数多く改修されて使われているのが解ります。

松井家住宅
 内部の様子。
 ちなみに松井家住宅は、家の中で馬を飼っていました。

旧小幡藩武家屋敷・松浦氏屋敷
 約300年前に造られた、小幡藩織田家統治時代の武家屋敷。本来は茅葺屋根の家ですが、修復する予算が無いため、暫定的に茅葺の上にトタン屋根を載せて保護しています。子孫の方の話によると、茅の吹き替えだけでも4000万円以上はかかるとか。建物は老朽化著しく、現在は中に入れない状態なので、早急な対策が求められます。

旧小幡藩武家屋敷・松浦氏屋敷
 雄川堰から取水する小堰を利用し、さらに山々を借景にした庭園。武家屋敷の庭園として大変資料的価値が高いものです。
 なお、松浦家屋敷は県指定文化財。
 また、現在の松浦さんの家の中にあるような雰囲気のため、一見すると見逃してしまいますので要注意。

吹上の石樋
 1865(慶応元)年、7ヶ月と250人の手間を費やして造られたもの。長さ6mの巨大1枚岩を組み合わせたもので、下を流れる川と立体交差させました。これを通って、雄川の水が、雄川堰へと流れていきます。

吹上の石樋
 別角度より。
 こういうのを見ていると、古代ローマの水道を思い浮かべる3人でした。あれは2000年前に造ったのですから、恐るべし技術ですね。

長厳寺
 天台宗の寺。これが意外と面白い寺だそうなので、ちょっと行くことにしました。


長厳寺〜木魚〜
 まずは、この木魚を木槌で叩いて一礼して入ります。なるほど、これは木魚ですね〜(笑)。

長厳寺〜放置された駕篭〜
 価値が微妙にありそうで無いのでしょう。おそらく捨てるわけにも行かず、保存するのも難しく、このように朽ち果てる日を待っているような状態でした。

長厳寺〜日本一の磨崖仏〜
 裏山に掘られた、日本最大といわれる磨崖仏。ただし、1979(昭和54)から6年かけて造られた新しい物だそうです。

長厳寺
 磨崖仏の前には、岩を使った彫刻が。
 こちらは、山伏のようです。

長厳寺
 一方、こちらは亀の彫刻のようです。

織田宗家七代の墓〜崇福寺の旧境内〜
 小幡藩織田家初代藩主、織田信雄から7代藩主、織田信富まで7人の墓があります。写真は、最も大きい織田信雄の墓。

織田宗家七代の墓〜崇福寺の旧境内〜
 織田信雄の墓を手前にして、順番に7つの墓が(信良−信昌−信久−信就−信右(のぶすけ)−信富)。なお、5代〜7代藩主の墓は、崇福寺で1758(宝暦8)年、1971(明治4)年に発生した火災による被害で、破損したままです。