小幡地区は、それほど古い街並みが残っているわけでもないですが、養蚕農家の家々など、当時の面影を残す建築は幾つかあり、また雄川堰を中心とした非常に美しい景観を形成しています。
なお小幡藩とかかわりが非常に深い織田家は、1767(明和4)年に出羽高畠(現・山形県高畠町)に移封され、さらに出羽天童藩(現・山形県天童市)へ移封。ここで明治維新を迎えています。

雄川堰
甘楽町を南北に流れる雄川堰は、日本の名水100選にも選ばれた生活用水路。古くから人々がこれを利用してきました。小幡地区に入ると、まずこの雄川堰と古い街並みが見えてきます。桜の季節には絶景。
|

旧 甘楽社小幡組煉瓦倉庫
(現・甘楽町歴史民俗資料館)
1926年築のレンガ倉庫。製糸工場を運営した甘楽社小幡組の建物で、戦時下に工場が閉鎖されるまで利用。この地区の養蚕産業を代表する建築です。
|

小幡陣屋跡周辺
江戸時代に小幡を統治した小幡陣屋(幕末期には小幡城と改称)は、明治維新後に建物や土地が払い下げられ、現在は何も残っていませんが武家屋敷(写真右は高橋家)とその石垣や、道路は当時のままです。
|

小幡陣屋跡周辺
左写真とは反対方向から。陣屋は無くなりましたが、現在は往時の雰囲気を味わえるように塀が再現されています。
なお、整備中のため紹介できませんが、楽山園と呼ばれる庭園が小幡陣屋の関連施設として挙げられます。今は発掘中で、これに併せて御殿なども復元されるとか。ただし、平成24年ごろの整備終了予定。まだまだ先は長い・・・。
|

喰い違い郭
旧陣屋の中小路に面して造られたもの。戦争の際に防衛の役割を担ったとか、下級武士が上級武士に出会わないよう、隠れる場所だったとも言われています。
|

|

松井家住宅
江戸時代に名主を務めた松井家の屋敷。江戸時代中期の建物で、この地方の代表的な造りをしています。現在も甘楽町を歩くと、こういった雰囲気の建物が数多く改修されて使われているのが解ります。
|

松井家住宅
内部の様子。
ちなみに松井家住宅は、家の中で馬を飼っていました。
|

旧小幡藩武家屋敷・松浦氏屋敷
約300年前に造られた、小幡藩織田家統治時代の武家屋敷。本来は茅葺屋根の家ですが、修復する予算が無いため、暫定的に茅葺の上にトタン屋根を載せて保護しています。子孫の方の話によると、茅の吹き替えだけでも4000万円以上はかかるとか。建物は老朽化著しく、現在は中に入れない状態なので、早急な対策が求められます。
|

旧小幡藩武家屋敷・松浦氏屋敷
雄川堰から取水する小堰を利用し、さらに山々を借景にした庭園。武家屋敷の庭園として大変資料的価値が高いものです。
なお、松浦家屋敷は県指定文化財。
また、現在の松浦さんの家の中にあるような雰囲気のため、一見すると見逃してしまいますので要注意。
|

吹上の石樋
1865(慶応元)年、7ヶ月と250人の手間を費やして造られたもの。長さ6mの巨大1枚岩を組み合わせたもので、下を流れる川と立体交差させました。これを通って、雄川の水が、雄川堰へと流れていきます。
|

吹上の石樋
別角度より。
こういうのを見ていると、古代ローマの水道を思い浮かべる3人でした。あれは2000年前に造ったのですから、恐るべし技術ですね。
|

長厳寺
天台宗の寺。これが意外と面白い寺だそうなので、ちょっと行くことにしました。
|

長厳寺〜木魚〜
まずは、この木魚を木槌で叩いて一礼して入ります。なるほど、これは木魚ですね〜(笑)。
|

長厳寺〜放置された駕篭〜
価値が微妙にありそうで無いのでしょう。おそらく捨てるわけにも行かず、保存するのも難しく、このように朽ち果てる日を待っているような状態でした。
|

長厳寺〜日本一の磨崖仏〜
裏山に掘られた、日本最大といわれる磨崖仏。ただし、1979(昭和54)から6年かけて造られた新しい物だそうです。
|

長厳寺
磨崖仏の前には、岩を使った彫刻が。
こちらは、山伏のようです。
|

長厳寺
一方、こちらは亀の彫刻のようです。
|

織田宗家七代の墓〜崇福寺の旧境内〜
小幡藩織田家初代藩主、織田信雄から7代藩主、織田信富まで7人の墓があります。写真は、最も大きい織田信雄の墓。
|

織田宗家七代の墓〜崇福寺の旧境内〜
織田信雄の墓を手前にして、順番に7つの墓が(信良−信昌−信久−信就−信右(のぶすけ)−信富)。なお、5代〜7代藩主の墓は、崇福寺で1758(宝暦8)年、1971(明治4)年に発生した火災による被害で、破損したままです。
|