2013年7月13日 「ななつ星in九州」用機関車の甲種輸送in九州

〇撮影&執筆:リン

 今日の休みは狙って取得したものではなく、たまたま重なっただけ。とは言え、先日見送ったE6系のような何度かある甲種ではなく、(おそらく)1回きりの甲種とあっては出撃せざるを得ません。
 今回も今年2月と同様にスオーナダフェリーで竹田津を経由し大分入りしました。

 当初はどこか沿線で撮影するつもりでいたのですが、確実に仕留めたいということで豊後豊岡駅での駅撮りに決定。


 牽引機が何かも知らずに待っていたのですが、DE10形でした。ついでにヨ8000形も北九州あたりで切り離したのか、DF200形だけの輸送でした。

 追って西大分に向かうと、ホームの真正面に留置されており非常に撮影しやすい状態でした。


 5時間ほど留置されるのでエンジンも停止し静かに待機していました。


 やはり注目を集めたのが黒いフィルムによる目隠し。防汚の意味合いも勿論あったとは思いますが、話題性を高める結果につながったようにも思います。


 唯一、「SEVEN STARS」のロゴはやや形が浮き上がって見えました。上の丸いのはエンブレムですかね。
 あと、鎧戸や屋根上など一部には臙脂色の塗色がそのまま見えました。裏を返せば、このフィルムを貼ったままでの運転もできるということでしょうか。それはそれで見ておきたいもんです。

 客車も今月末には完成すると言うことで、JR九州の渾身の列車が完成する日が待ち遠しいですね。

 さて、「ななつ星in九州」の機関車・DF200を西大分で撮影し終え、一旦大分市街地の東側へ出て、乙津川橋梁へ。今年2月に偶然行き着いた場所で、実際にはよく知られた撮影名所だった…という場所です。


 ここでの目的は4075レ。今年のダイヤ改正でED76形からEF81形の牽引へと変更され、EF81形が南延岡まで足を伸ばすようになりました。
 本日の牽引機は406号機でした。特徴的な300番台や451・452号機ではありませんでしたが、ローピンのEF81形自体が少しずつ数を減らしているので、これはこれで。編成後部のタンクコンテナも目立ちます。

 さて、元々の予定であれば西大分→下郡信の輸送を大分で迎え撃ち、停車中をじっくり観察するつもりでした。しかし、西大分でその目的は果たせたので、予定を変更し昨年の大雨で被害を受けた耶馬溪に向かうことにしました。
 せっかくだし別府の地獄巡りも良いかなと思ったのですが、また別の機会に…。

 ナビに進路を問うたところ、別府からR500を抜け、安心院を経由していくルートでした。
 雨も上がり日が差す中を快適ドライブ。しばらく走った後、「道の駅いんない」で少々早めの昼食を兼ねて休憩。

 ここで町の観光案内やガイドブックを見たところ、宇佐市院内町には龍岩寺という古刹や合計75基もの石橋が存在するとのこと。流石に全部見て回るのは厳しいですが、これは見ないわけにはいきません。


 こちらは市有形文化財の富士見橋。橋の上から由布岳(豊後富士)が遠くに見えるのがその名の由来で、大正14年の架橋。建築途中に一度崩落したものの、架橋を手がけていた棟梁の松田新之助が私財を投じて完成させたという逸話が残っています。


 こちらは経座橋。昭和25年と比較的新しいもので、対岸にある民家への生活道として建設されたそうです。後述の龍岩寺の近くにありました。


 こちらが龍岩寺の本堂。ここもガイドブックに載っていた場所で、奥院礼堂とそこに安置される仏像三尊がいずれも国重文という地味に凄い寺院。

 左側に写る案内所?でいただいた略縁起によると、開祖は行基で平安末期の草創。宇佐神宮に参籠した行基が龍女に導かれ、この地の守護神・萬力坊の援助を受けて仏像三尊を楠の大木から一夜のうちに彫り、以て祈願所とした…というのが起こり。
 当初は天台宗、後に曹洞宗に改宗し、天正年間にこの地を治めた大友宗麟により領内の仏教寺院がことごとく破壊された際にも奥院はその災厄を免れ、結果として今日まで残存することとなったようです。

 それにしても…大分県内でもトップクラスの文化財があるというのにこの本堂…観光客には見せられないほど生活感が溢れてました。ちょっと写真を撮るのも憚られた…。

 さて、拝観料200円を払い入山。足下を大量のザトウムシ(wikipedia。虫の苦手な人は注意)が這い回る参道を歩くこと10分ほどで到着しました。

 我が鳥取県の誇る国宝・三佛寺投入堂と同じく懸造で、大分県唯一の鎌倉時代の建築。正面と側面には壁があり、屋根も片流れのものが葺かれているものの、奥は屋根・壁ともになく仏像の頭が外からも覗いています。


 仏像は向かって左から不動明王座像、阿弥陀如来座像、薬師如来座像。先述の通り、屋根がない部分に安置されているため外光が直接当たり、対してこちら側は暗いため、非常に神々しい印象を受けます。格子があるために全体を拝むことは出来ませんが、充分に気が引き締まる思いになります。


 参道の途中から奥院の真下に出る事が出来ました。手前を斜めに横切るものは「きざはし」という昔の参道で、かつてはこれを使って奥院に出入りしていたようです。ここ以外では伊勢神宮でしか見られない珍しい様式…とのことで、市有形文化財です。

 この拝観をもって突発の院内観光は終了。耶馬溪への道を進むのですが、R500は昨年の豪雨の影響なのか通行止め。迂回路のr667を利用するよう案内があったので走行しましたが、予想に違わず隘路でした。R500すらも狭隘区間があるというのに、並行する県道の状況など想像に難くありません。まあ余裕だったけど。

 そしてR667からR500に復帰できたあたりで雨が降りだし、あっという間に大雨に。

 結局、耶馬溪はパスし、一番の気がかりだった旧大分交通耶馬溪線山国川第2橋梁だけ車の中から撮影。廃線跡巡りとして昨年夏に訪問し、歩いて渡った場所でしたが、その半月後にちょうどこの日のような豪雨で無残にも流失しました。
 川の中に落ちた橋桁は撤去されていたようですが、折れた橋脚や耐え残った部分はそのままでした。

 同じ場所から撮影した昨年の様子。現役時代から耶馬溪線の名所として知られていました。願わくばこの姿で復旧して欲しいところですが、現状の利用法がサイクリングロードでは厳しいでしょうな…。

 耶馬溪を離れる時点で14時前。天気が良ければ築城基地脇の公園を覗いてみようかとも思っていましたが、引き続きの悪天候で断念。
 一般道を岩国ICまでひたすら走行し、夕方ラッシュを回避する目的で岩国ICから志和ICまで山陽道でショートカットし、自宅へは22時過ぎの帰宅となりました。

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