2013年12月9日・11日 さるけない長崎

〇撮影&執筆:リン

 もうすっかり有名になった感もある「さるく」という言葉。長崎の方言でぶらぶら歩くという意味だそうで、長崎の町中を観光する様がまさに「さるく」だとか。

 まあ、今日は雨でしたので、11時前に長崎駅に着き、数本のキハ66系を撮影し、アーケード街で飯食って、土産を物色だけしてさっさと諫早に15時過ぎに帰るというよく分からない1日になってしまいました。
 さらに間が悪かったのが傘。もともと持ってきておらず、長崎に着いた時点でもまだ小雨だったので我慢できそうだったのに、諫早に着いた瞬間に雨脚が強まり仕方なく駅で購入しました。買うなら最初から買っておけば良かったですね。

 そんな1日ではありましたが、きっちり収穫もありました。


 往路で利用した「シーサイドライナー」にはキハ67・66-110編成。


復路は長与経由の旧線乗り潰しを兼ねて14時10分発の列車を選んだところ、キハ67・66-1編成。往復とも国鉄色編成でした。

 シーサイドライナー色の並び。

 他の特徴的な編成というとハウステンボス色ですが、キハ200系の方は帰りに大草で交換。キハ66系の方は車庫で検査中でした。

 続いて12月11日。土産の調達やら、そもそも諫早にいては退屈すると言うことで再び長崎へ行ってきました。何せ片道450円、快速なら30分かからず非常に近い印象です。


長崎駅に到着してまずはキハ67形ハウステンボス色を撮影。いろいろ検索した結果、何やら離脱して長いようです。せめて普通に駅撮りでも良いので撮影しておきたいのですが…。


 2番線にて発車待ちをしていた787系つばめ。787系もあちこちに転用されてきましたが、ようやく落ち着けるかな…?


車庫の方ではキハ220-208を連結した編成が入換を行っていました。朝夕ラッシュ時のみ運用入りしている車両なので撮影は諦めていましたが、こういう形で撮影できるんですね。


HTB色のキハ66系に続き国鉄色編成の片割れ(キハ66・67-110)も運用を離脱。そんな中でもトップナンバー編成は運用を続けていました。2番線と3番線では並びとは言いづらいですが、長崎らしい1枚ということで。


 改札を出て、駅北方にある幸町踏切へ。長崎駅を発着する列車に加え、入換を行う車両も通過するためかなり撮影頻度は多いです。長崎運輸センターの機能が早岐に移されたら本数も減ってしまいますが…。
 まずは4番線から発車してきた885系つばめ。こちら側からだと電柱などが結構多いですね…。


今度は踏切の東側から。障検を避けるためにある程度の望遠が必要になり、結果としてこんな感じになります。


 留置線に出入りする車両は踏切北側の線路で折り返すため、僅かな間ではありますが綺麗な編成写真が撮影できます。


 さて、キハ200形の方のHTB色は長崎駅にいなかったのでそのうち来るだろうと待っていたところ程なくして到着、喜々津折り返し運用で発車していきました。
 先程の写真は地上からでしたが、跨線橋を数段上って撮影してみました。個人的にはこっちのアングルが好きかも?

 さて、HTB色のキハ200形が戻ってくるまでの間、何をして過ごすか考えた結果、一昨年と2ヶ月前の2回とも出島を訪問していないことを思い出し、駅から近いこともあり行ってみました。

 一応は全ての建物を見るつもりでしたが、キハ200形の折り返し時間の関係で常設展示の一部はカット。ただ、2006年に復元されたカピタン部屋・乙名部屋・三番蔵・拝礼筆者蘭人部屋は重点的に見て回っておきました。


 …と言いつつ、最初にご紹介するのは一番船船頭部屋の2階室内の様子。18世紀の建築を再現しつつもその建物の役割故に現代でも見劣りしない「ハイカラ」な内装が特徴的です。
 上写真はオランダ商館員の部屋(だったかな…?)


こちらもオランダ商館員の部屋。寝室だったようですが、非常に広い部屋にベッドが1つ。


商館員の部屋とは階段を挟んで向かい側にある一番船船長の部屋。畳敷きに屏風・長押・そしてベッド。見事な和洋折衷。それにしてもこのベッド、畳と比較してみるとちょっと小さいような…。300年前のオランダ人はこの程度のベッドで大丈夫だったのでしょうか。


 それでは2006年復元エリアへ。まずは乙名(おとな)部屋。右奥は後述するカピタン部屋の一部です。
 出島乙名とは出島における日本人側の実務者とのことで、オランダ船の入港時には貿易に関わる様々な業務に携わっていました。


 内部も再現されています。こちらは乙名の詰め所。日本人向け故に普通の江戸時代の建物といった雰囲気。


続いては三番蔵(奥)と礼拝筆者蘭人部屋。三番蔵は輸入された砂糖などを保管する蔵として使われていました。手前の礼拝筆者蘭人部屋の内部は発掘状況などを展示しているようだったので中は覗かずスルー。


 三番蔵の内部。砂糖が入っていた袋が積み上げられており、2階へ搬入するには上に少し見えている滑車を使っていたとのこと。海沿いの立地のため、高潮などの洪水時には砂糖が水没することもあったとか。


 そして何より見応えがあったのがこのカピタン部屋。カピタンとはオランダ商館の商館長のことで、歴代カピタンの住居として使用されていた建物です。外観の特徴は通りに面した三角形の階段。後の時代には建物内に階段が設けられたそうですが、日本家屋にはまず見られない構造ですね。 
 1階は出島を取り巻く歴史などを解説する展示がありましたが、圧巻は2階でした。


 …と言っても、実際は各部屋がどういった役割で使われていたのか、研究途上にあるようで詳細は不明の様子。この部屋も「15.5畳の部屋」という名称で呼ばれていました。
 もう一室あった「17畳の部屋」とともに商館員の事務作業をする場として使われていたのではないか、とされています。再現されているのはカピタンの引き継ぎ式の場面。調度品などきっちり用意されています。


 大広間。こちらは「阿蘭陀冬至」というクリスマスを祝う晩餐の様子を再現。畳敷きなのを除けば洋館という作りだったんですね。


 涼処。乙名部屋の真上にあたる位置の部屋で、当時は海が眼前に広がっていた、文字通りの涼を取れる部屋だったようです。左手にはバルコニーもありました。
 カピタン部屋にはこの他にも図書室や女中部屋などがありましたが、展示を置くつもりはないのか何もない部屋でしたので割愛。

 時間の関係で急ぎ足ではありましたが、この内容で500円の入場料は安いです。
 次は2016年、他の建物が復元し終えたあたりで再訪してみたいですね。


最後に、お目当てのネタを出島から戻ってきた所で改めて撮影。2年前に大村線内で偶然見かけて以来、ようやく撮影できました。

↑ PAGE TOP