2014年2月23日 長崎運輸センター一般公開

〇撮影&執筆:リン

 長崎というと福山から片道500km以上。ずいぶん前に軍艦島目当てで行って以来でしたが、昨年10月にクルマで、12月に諫早出張でと急に身近な感じに。
 そして今日、日曜日に休みをもらったのでいろいろネタを探した結果、長崎運輸センターの一般公開があるということで日帰りで長崎まで行くことになりました。これで2ヶ月おきに3回も長崎に行ったことになります。東京や大阪ならともかく、どうしてこうなった。


 内容としては車両展示や転車台の体験などありふれたものでしたが、ちゃんと長崎にゆかりのある車両という所にこだわった展示は流石でした。


今でも長崎県民の足として頑張るキハ66系。


長崎を始め、九州各地で活躍した485系。


 ブルトレなどを牽引して長崎まで顔を出していたDD51形。

 …まあ、いろいろツッコミを入れたくなる部分が多くありました。
 キハ66系はヘッドマークステイが無く、キハ58系時代の貫通路真上に掲出していたヘッドマークを貫通路の踏み板の上に置いてみたり。
 DD51形は回送時に掲出していた反射板を掛ける青い金具がそのまま。
 485系は昼の一時期、電柱の影が前面にかかる位置に展示。

 まあ、往事の姿を完全に再現することはできませんので文句は言いません。むしろ様々なヘッドマークをかなりの頻度で交換していただいたのでありがたい限りです。どんなものが用意されていたかは、ページの後半で紹介したいと思います。


さて、転車台の回転実演には単行で動けるキハ220-208が使われました。


SL時代から使われ続けた検修庫。趣深いこの建物も間もなく姿を消します。


留置線として何本かは残ると思いますが、これだけの車両が並ぶのは来月までとなるようです。青い。


ちなみにキハ66系ハウステンボスライナーは湯江からの普通列車で到着し車庫に引き揚げてきました。相変わらずマトモに撮影できません。
さて、掲出されたヘッドマークの一覧ですが、以下の通りでした。順不同。

DD51
さくら/さくら・はやぶさ/はやぶさ/みずほ/あかつき/出雲/瀬戸/つるぎ/北陸/あけぼの/北斗星/はくつる/ゆうづる/カートレイン
キハ66系
出島/平和/九十九島/弓張/ちくご/平戸/シーサイドライナー/三川内陶器市号/納涼列車/夢なごし号/おおむら花しょうぶ祭号/他に用意され掲出されなかったものあり
485系(クハ481形)
かもめ/みどり/にちりん/かもめ(回転幕故障バージョン)/きりしま/ひゅうが/きりしま&ひゅうが(K&H)/さわやかライナー/ホームライナー/普通(AIRPORT LINE)/試運転/エアポートライナー
にちりん〜試運転はもともと大分車として備えていた幕。その他はシートタイプのものを元々の幕との間に差し込む形で再現。
反対側のクモハ485形は終日「回送」のまま。…だと思います。

それでは、まずは485系から。

にちりん。私が会場に到着した午前11時の段階でこれでした。







かもめの幕が故障したようなもの。シートが元々こんな感じということで、実際にはあり得ない光景ですね。








続いてキハ66系で、かつての準急・急行のヘッドマークをご紹介。と言っても、ここ数年のリバイバル運転で使用された実物ばかりなので新鮮味はありませんが…。

「いなさ」。1968年のダイヤ改正で長崎本線に乗り入れていた急行の名称を統合する形で登場。1975年のダイヤ改正で山陽新幹線が博多まで達した際に「出島」へ名称変更されました。

「平和」。列車名称としては1958年10月〜59年7月に後の「さくら」となる東京〜長崎間の寝台特急列車に使用されましたが、このヘッドマークは架空のものだそう。

「シーサイドライナー」。急行ではありませんが一応掲載。実際はキハ58系の貫通扉前に専用のステーを使って掲出されていたようですが、標識灯掛けに強引に取り付けられました。

「ちくご」。1961年、熊本〜長崎を佐賀線経由で運転する準急列車で運行開始。1980年まで運転されました。
 佐賀線、と言えば筑後川昇開橋ですが…動いてるのを見たいですね。手元にはもちろん「い○ちこ」。

 「九十九島」。1962年、博多〜佐世保を筑肥・松浦線経由で運行開始した準急列車で、翌年は長崎まで乗り入れ。以降、急行格上げを経て1968年まで活躍。


「出島」。1960年、博多〜長崎を大村線経由で運転する準急列車として登場し、3年後には何と広島〜長崎の急行列車へと変身。
 1975年からは再び博多発着になると同時に「いなさ」を吸収。以降は特急「かもめ」の補完列車として次第に数を減らしつつも1982年まで存続しました。

「弓張」。1957年、博多〜佐世保の快速列車として登場。準急・急行と次第に格上げされ1982年に特急「みどり」に格上げされるまで25年の長きにわたり佐世保線の顔として活躍しました。

「平戸」。1961年に大阪〜佐世保を運転する急行として登場し、1968年に「九十九島」の名称変更という形で大村線へ。JR化後の1988年、松浦線が松浦鉄道に移管されるまで急行列車として運転されました。



実在した物、架空のデザインが混在していますが、485系に負けず劣らず楽しませてくれました。
 やっぱこういうイベントはたまに行くと良いですねー。

それでは、DD51。こちらは写真のみで。

九州でまさかの「はくつる」


















さて、長崎駅ではこんなネタも・・・。SL人吉号が団体臨時列車でやって来ました。


さて、博多駅へ。カラフルな並びです。


787系による特急「かいおう」を撮影。

485系の回送を撮影して、〆としました。

↑ PAGE TOP