大日本史年表(大正時代)

1912年     西園寺内閣が二個師団増設を認めず、内政優先をすすめたため、( 上原勇作 )陸将が怒って
          辞表を提出。内閣総辞職に。
          第3次桂内閣が成立。これに対して、第1次護憲運動が起こり、翌年、桂内閣総辞職。
         これを( 大正政変 )という。
1913年    加藤高明が( 立憲同志会 )を結党。
          徳川慶喜死去。随分長生きしたものです。
1914年    海軍高官がワイロをうけとった( シーメンス )事件が発覚し、( 山本権兵衛 )内閣総辞職。
          第2次大隈内閣の下、第1次世界大戦に参戦。
1915年    中華民国を支配する袁世凱政府に対し、( 21ヶ条の要求 )を認めさせる。
1916年    加藤高明らが( 憲政会 )を結党。
1917年    親日政権による中国統一を進めるため、中国の段祺端政権に援助。これを( 西原 )借款という。
          日本とアメリカがお互いの権益を確認した( 石井・ランジング )協定が結ばれる。
1918年    富山県で( 米騒動 )がおこり、全国に広がる。
          初の爵位を持たない首相・( 原敬 )による内閣が成立。
1919年    朝鮮で( 三・一 )独立運動がおこる。
          中国で( 五・四 )運動が起こる。いずれも抗日運動。
1920年    日本が国際連盟に加盟し常任理事国に。   
          ソビエトのニコライエフスクで日本軍と抗日民衆軍が戦闘。これを( 尼港 )事件という。
1921年    原敬が刺殺される。ちなみに、何故原敬が普通選挙を実施できなかったか。結局のところ、政権を手に入れたといっても、当時政治の実権を握っていた山県有朋系の元老派閥との妥協の産物だったため、政権は不安定。とてもではない、普通選挙どころではなかった。ちなみに、その後もこの様な形は続き、政党政治と言うが、実態とは大きくかけ離れていることを覚えておこう。
         ( ワシントン )条約が日米英仏の4ヶ国で結ばれ、これにより( 日英同盟 )が破棄される。
          →もう同盟としての用は済んだというイギリスの申出。
1922年    ( ワシントン )海軍軍縮条約が結ばれる。
          非合法ながら( 日本共産党 )が結党される。また、革新倶楽部が結党。
1923年    関東大震災。どさくさに紛れ、在日朝鮮人が殺害されたり、無政府主義者の大杉栄が殺害される。
         これを、( 甘粕 )事件という。
          摂政裕仁<後の昭和天皇>が、( 難波大助 )に狙撃される。これを( 虎ノ門 )事件という。
1924年    議員を中心に第2次護憲運動がおこる。政友会が分裂し、政友本党が結党される。
          護憲3派( 憲政会 )・( 政友会 )・( 革新倶楽部 )による連立政権誕生<第1次加藤高明内閣>
1925年    言論の統制などを定めた( 治安維持 )法が成立。それだけ、左翼の動きが恐れられたというわけ。
          男子25歳以上すべてに選挙権を与える( 普通選挙 )法公布。要はアメとムチ。
1926年    川端康成が( 伊豆の踊子 )を著す。
          年末に、大正天皇没。昭和天皇の即位。だから昭和1年生まれはごくわずかなのよ。

 


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