さて、それでは田沼意次がどんな政策をやったか見ていきましょう。
 時代的な背景や、いわゆる抵抗勢力の妨害で成功しませんでしたが、荻生狙来と並んで、幕府には数少ない経済通。
 重商主義政策をとるという、先見性の持ち主。
 彼が才能を愛した発明家・平賀源内と共に、登場にはまだ早すぎたのかもしれません。んで・・・・。

a.予算システムの導入

 まずはこれですね。意次は、予算という考えを導入します。
 元々幕府は裕福なため、何か必要になったら、その度に金蔵からお金を引っ張り出してきていました。が、当然財政が悪化するとこんな事はやっていられない。そこで意次は、前もってどこの部門にいくら予算を使うか、きちんと立てておくことにしました。

b.将軍・大奥予算の削減

 意次は大奥に機嫌をとる一方で、実は予算も削っています。いったいどんな魔法を使ったんだか。
 この部門の予算を削るのに成功したのは彼だけではないでしょうか?具体的にどれほど削減したかというと、20年間で約1万両の削減です。また、将軍周辺の予算も削減しています。ただし、緊縮財政かと言われればそうではなく、江戸町奉行とか内政部門には普段通りの予算を与えています。

C.飢饉の対応

 天明の大飢饉の時、東北地方は大凶作に見舞われました。この時田沼意次がとった政策は、日本全国から米の余っているところは、東北地方に売り惜しみをしないようにという命令。実際、からなず日本全国が大飢饉になることはなく、むしろ豊作になる地域もありました。

 実はこの時、領民に1人もが死者を出さなかたったとして評判の高い松平定信。なんのことはない、彼は上方(大阪)で、米の買い占めを行った他、会津藩の松平家からも1万石を取り寄せています。当然、定信が買い占めた米は東北に出回らないわけで・・・。とはいえ、意次の考えもむなしく、結局上手く米が出回らずに、東北の飢饉は防ぎきれず、定信が注目されたわけです。領民にとって見れば、定信の方が有り難いのは事実ですね。

d.年貢税から商業税へ

 幕府の収入と言えば年貢にかかっています。ゆえに、増税と言えば農民からいかに搾り取るかでした。
 ところが、田沼意次は商業の方に税金をかけることを考え出します。これは、荻生狙来も酒に50%の税金を実行しましたが、新井白石によってやめさせられています。

 で、田沼意次が商業全体に税金をかけようとすると、当然の事ながら商人達はいやがります。そこで・・、「株仲間」というグループを各産業ごとに承認し、そこに独占的な販売権を与えます。こうしてお互いに思惑が一致。

e.貨幣制度の見直しと統一

 この時代、江戸では金、大阪では銀が通貨として使われていました。しかし、この2つの都市は商業的に結びつきが強く、両替することが多かったんです。ところが、その両替に統一的なルールがない。また、金は貨幣の形で流通していましたが、銀は固まりをちぎって重さで価値を表した物でした。そこで、両替には両替商が天秤で量っておこなっています。もちろん、中間マージンと手心でもうけています。

 そこで、銀をきちんと貨幣の形にして、そこに「この銀は60匆(そう)で金1枚」と彫って、流通させました。また、明和時代に発行された銀には「5匆で金1枚」としました。次第に金と銀を近づけているわけです。この後、もう一段階近づけられましたが、結局、松平定信によって潰されて元通りにされています。あ〜あ、もったいない・・・。日本に統一貨幣が出来るのは、明治時代まで待たないといけませんでした。

f.蝦夷地(北海道)の開拓

 吉宗時代から、次第に東北、さらにその北というのも特産物の宝庫ではないのかと注目されるようになります。
 これは、吉宗が行った「諸国物産調べ」のから判明。吉宗も米政策以外に色々やっていますな。

 で、それまで自由放任状態だった蝦夷地。松前藩というのが江差に置かれていて、そこに勝手にアイヌ支配などを行わせていましたが、意次は自ら蝦夷地の経営に乗り出します。ちょうど工藤平助という学者が「蝦夷地の調査を!」と論文を提出していたので、早速調査隊を派遣。この調査隊によって測量が行われ、蝦夷地の面積が算出されます。

 これは農業開発すると大きな収入になると考えた意次。しかも、アイヌ民族がいます。彼らに開発をさせてしまえば楽勝。
 ・・・・と、ここで不幸にも意次は失脚。もちろん、松平定信はこの計画を握りつぶします。ようやくこの計画が実行されるのは明治政府が登場したときですね。

g.印旛沼の開拓

 北海道だけでなく、すぐ近くの印旛沼という大きな沼地を農地に変えようと干拓事業に乗り出します。さらに干拓だけではなく、利根川と連結して水路を造り、新たな運河を造って北方との流通をよくしようと考えたわけです。ところが、3分の2まで進んだ時点で大洪水が発生。事業は中断しました。もちろん、松平定信はこの事業も握りつぶし。ここまで来ると悪役ですね。でも、この人はこの人でなかなか良い政策を行っているので、それは後でしっかり見ていきます。

 この事業は、後に水野忠邦も行おうとしました。ところが、やはり洪水で失敗。ちと難しいのかもしれません。

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